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ホスピスナースは今日も行く
アメリカ在住日本人ナースが、ホスピスで出会った普通の人々の素敵な人生をおすそわけします。
海を渡った母たち
 最近、地元の日本人会に「日本語を話せるヘルパーさんを知りませんか」という問い合わせが増えて来たそうです。高齢化は日本国内だけでなく、在米日本人にとっても、待ったなしの課題になっています。特に、現在80歳代以上の在米日本人女性には、いわゆる「戦争花嫁」といわれる、戦後アメリカ人兵士と結婚して渡米した人たちが多いのですが、その人たちは共通して、自分の子供たちには日本語を教えなかったようです。日本人だけでなく、あの頃の多くの移民がそうであったように、アメリカ人として周りにバカにされないよう、あえて母国語は教えないことで、外国語訛りのない英語を話せるように教育したのでしょう。そのため、その子供たちは日本語が全く分からない、あるいは聞けばある程度分かるけれど、自分は話せないまま育ったのです。しかし、その親世代が高齢となり、長年使っていた英語よりも母国語である日本語を使うようになってくる、というのはよくある事で、そうなって初めて“自分の親と言葉が通じない”という思いもよらなかった状況に直面するのです。
 ホームケアやホスピスも病院と同様、年中無休で、私たちの場合、月に一度の割合で週末のシフトが回ってきます。そんな先月の週末勤務の事でした。週末のスケジュールというのはなかなか予測が付きにくく、ものすごく忙しかったり、逆に訪問件数が足りなかったり(足りない、というのはエージェンシーとして必要な生産性に満たない、と言う意味で、ナースが‟もっと訪問させて!”と言う事ではありません)するので、それをやりくりするマネージャーも大変です。特にホスピスの場合、訪問予定だった患者さんが夜の間に亡くなったり、退院してその日に初回訪問するはずが退院しなかったり、と、なかなかその日の予定が決まらないこともあるのです。そんな日は、仕方ないのでとりあえず訪問できる人たちから始めてしまい、マネージャーから連絡が入り次第ラップトップをアクセスして情報をダウンロードし、患者さんや家族に「連絡が遅くなりましたが、今日うかがってもいいですか?」と電話をして、OKであれば訪問、「えー、今日はお客さんが来るからダメ」と言われたら、マネージャーに戻して別のケースを見繕う、という事になるのです。その日はまさに、その“足りない”土曜日でした。
 “足りない”日の場合、とにかく生産性を満たすために、動線の効率はほぼ無視されることになります。生産性の前には、運転する距離や時間、ガソリン代などあって無きが如し。30分の訪問のために片道40分以上を費やしても、それはそれでOKなのです。その日はカウンティ-ライン(郡と郡を分ける道路)を何度も横切りながら、5件目のケースをもらったのはお昼近くになってからでした。その患者さんは前日の金曜日にホスピスケアの同意書にサインしたばかりで、特に緊急な状態ではなかったものの、フォローアップ訪問としてコンフォートパック(緊急用の薬が入ったパッケージ)の確認をしておきましょう、と言う事でした。その週末のマネージャーだった主任のジョンが、電話でその患者さんの名前を言った時ははっきりしなかったのですが、ラップトップに落とした情報を見て、私は「やっぱり」と思いました。92歳のその女性の名前は、私の母のそれと同じだったのです。
 未亡人のHさんは独り暮らしで、24時間、2交代でエイドさんを雇っていました。私は連絡先になっている息子さんに電話をし、午後3時と4時の間に訪問するというメッセージを残しました。その日の最後の訪問で、息子さんから確認の返事がないまま、ひっそりとした平屋建ての小さな家の呼び鈴を押し、反応を待っていると、ドライブウェイに車が止まり、「何か用ですか?」と言いながら男の人が出てきました。中肉中背のその男性は朗らかな感じで、明らかに黒人とアジア人の血が混じった顔をしていました。私は自己紹介をすると、「ああ、メッセージ聞きました。ちょっと待ってください、今中から開けますから」と言って、ガレージの方から家の中に入っていきました。そして、すぐに中からドアを開けると、「どうぞどうぞ」と言って迎え入れてくれました。
 夕暮れ近い家の中は静かで薄暗く、先に立つ息子さんについて奥の寝室に行くと、フルサイズのベッドの真ん中にちいさなHさんが横になっていました。ベッドサイドで本を読んでいたエイドさんが立ち上がり、息子さんにHさんの様子を報告し終えるのを待って、私は自己紹介をしました。Hさんは年齢相応の衰弱以外、これと言った疾患があるわけではありませんでしたが、ここ一週間ほどで食欲が減り、うつらうつらする時間が増え、心配した息子さんがかかりつけの在宅専門医に連絡して診てもらったところ、要するに老衰だと言う事で、本人と息子さんの希望でホスピスケアに依頼されたのでした。身長はおそらく150cmもなく、体重は30kgに満たないであろう小柄なHさんは、耳が遠いこともあり、あまり話さないけれど、ちゃんと理解はしている、と言う事でした。Hさんは大きめの声で自己紹介をする私をじっと見つめていました。私は何気なく、息子さんに、「お母様は日本語はわかりますか?」と聞きました。すると息子さんはちょっと驚いて、「もちろん、わかります」と言いました。私が「じゃ、日本語でお話ししてもいいですか?」と訊くと、彼はとても嬉しそうに「もちろんです、ぜひして下さい」と言いました。そこで私はHさんに向かって「こんにちは。お加減はいかがですか?」と日本語で話しかけたのです。すると、Hさんは大きく目を見開き、それから何か言おうとしたのですが言葉にならず、私に向かって両手を差しだすと、そのままポロポロと涙を流し始めたのです。私はそのか細い手を取り、「私も日本人ですよ。日本語はお久しぶりですか?」と言うと、Hさんは無言のままうんうんと頷きました。それからエイドさんの方を見るとかすかな声で、「she is Japanese」と言ったのです。エイドさんは興奮して、「わあ、Miss.H、あなたが日本語ができるなんて知らなかったわ!」と言い、息子さんに向かって「あなたも日本語話せるの?」と訊きました。息子さんは、「いやあ、僕は全然わからないよ。一言二言かな。昔は良く母の友達が来て、何時間も日本語でおしゃべりしてたなあ。でももう、みんないなくなっちゃったからね」と言い、Hさんに「良かったね、お母さん」と言いました。私はそのあとすべて日本語でアセスメントすると、私の言う通り深呼吸をしたり口を開けたりするHさんを見て、エイドさんは「すごい、すごい」と言って喜んでいました。私は息子さんに、「もしよかったら、上司に頼んで、私が受け持ちになってもいいですよ。そうしたら日本語でもっとお話しできるし、一緒に折り紙折ったりもできますし」と言うと、息子さんはニコニコして、「そうですか?そうしてもらえたら嬉しいなあ。いやあ、まさかこんなことになるとは思わなかったなあ。ありがたいです」と言いました。私はHさんに「それじゃ、今度は折り紙持ってきましょうね。一緒に折りましょう」と言うと、彼女はまたもや涙ぐみ、うんうんと頷きました。息子さんは「母も良く折り紙を折ってくれたんですよ。僕は不器用で全くダメだったけど、姉は結構作ってたなあ。母は厳しくてね、ちゃんと角がそろってないと怒られてね。靴の紐の結び方とかもね、いやあ、厳しかったよ」と言って笑いました。私はHさんに、「Hさん、それじゃ、月曜日にまた来ますね。Hさん、実は、私の母の名前もHなんですよ。なんか、ご縁がありますね」と言うと、Hさんはもう一度両手を差し伸べて頷きました。私はその手を取って「それじゃ、月曜日楽しみにしていますね」と言ってから、息子さんと寝室を出ました。
 息子さんは少し興奮気味に、「母はよっぽど嬉しかったんだと思いますよ。日本語を聞くこと自体、久しぶりなんじゃないかなあ」と言ってから、壁にかかった古い写真を指して、「あれが母と姉の写真です。キモノを着ているのはこの写真だけで、僕はすごく好きなんだ」と言いました。それは若々しいHさんと5歳くらいの女の子が、浴衣を着て並んでいる写真で、大伸ばしにして、いかにも初期のカラー写真と言った風情でした。神戸出身のHさんは、4人姉妹の3番目で、戦後進駐軍の兵士だったご主人に出会い、多くの戦争花嫁がそうであったように、英語もあまり話せないまま、結婚してアメリカに渡ることにしたのです。ご主人は一足先にアメリカに帰国、そのあとHさんはたった一人で船に乗り、太平洋を渡ったのです。英語がよくわからなかったHさんは、船のチケットに食事代が含まれていることを知らず、あとで請求書が来ることを恐れて、2週間もの間、ほとんど食べなかったそうです。しかも連絡の手違いで、Hさんの船が着いたのは、ご主人が迎えに来ていたのとは全く違う港だったのだそうです。言葉もわからず、異国の地でたった一人、その時のHさんの心細さはどれほどのものだったでしょうか。故郷を焼き尽くしたかつての敵国で、英語を覚え、アメリカ人として子供を育て、やがてHさんは看護助手の資格を取って働きながら、看護学校にも通い、看護師の免許を取得します。そして、何年か病院に勤務した後、彼女は地元のナーシングホームで20年近く看護師長を務めたのです。その間、Hさんが日本に帰ったのは、たった一度。姪御さんの結婚式に出席するためでした。日本の家族は、故郷を捨ててアメリカに渡ったHさんを快く思わず、ほとんど音信不通の状態で、姪御さんの結婚式で20年ぶりに会った時も、その対応は冷たく、Hさんは以後一度も日本へ帰ろうとはしなかったそうです。息子さんは、「だから、僕も日本に対しては複雑な気持ちなんだ。でも、一度は必ず行ってみたいと思ってる。だって、僕のルーツの半分だからね。そして、できれば母の親戚にも連絡を取りたいけど、”Aoki”という苗字は割とよくあるらしいから、難しいかもしれないな」と言いました。ご主人は10年以上前に亡くなり、未亡人になってからもHさんは病院でボランティアをしたり、庭で野菜を作って近所に配ったりと忙しくしていましたが、1年ほど前に転んでから、少しずつ弱っていき、ここ半年ほどは24時間のエイドさんに来てもらっていました。それでも日中は車いすで出かけたりもしていたのだそうです。「お医者さんは今すぐどうこうっていうわけじゃないと思うけど、病院に行って何ができるってわけでもないし、今からホスピスに来てもらったほうがいいんじゃないかって。母はチューブや点滴は入れるなっていつも言ってたし、僕もこの年でそんなことするのもかわいそうだと思うしね。でも、まさか日本人のナースが来てくれるとは思わなかったよ。」息子さんはそう言うと、何度も、「いやあ、驚いたなあ」と言いました。私は「今日はバイタルサインも安定しているし、痛いところや苦しいところもないようですが、もしも何か変わったことがあったり、心配なことがあったら、いつでもホスピスに電話してください。私も今日は嬉しかったです」と言い、家を出ました。外はすっかり黄昏ており、私はジョンに電話をすると、受け持ち変更のリクエストのメッセージを残して家路につきました。
 翌朝、私は夜勤の報告を見て、思わず「うそ!」と声をあげました。昨夜11時半ごろ、Hさんが亡くなったというのです。私は何度も「え?え?」とつぶやきながら記録を読み返しました。それは、息子さんから、Hさんが呼吸をしていないようだ、という電話があり、夜勤のナースが訪問し、死亡を確認した、というシンプルなものでした。息子さんは最初から泊まるつもりだったのか、それとも自宅に戻る前に様子を見た時に異変に気付いたのか、詳しいことはわかりませんでしたが、とにかくHさんのそばに息子さんがいた、と言う事実が私のショックを和らげていました。しばらくすると、ジョンから電話がありました。彼はその日の私のスケジュールを確認してから、「いやあ、Hさんだけど、驚いたよ。昨日君のメッセージ聞いて、ケースマネージャーを替えたばかりだったからね。不思議だよなあ。この仕事していると、こういう事って結構あるけど、めぐり合わせっていうのかね。ほんと、面白いよね。息子さんも落ち着いてたみたいだしね。最後のバケツリストだったのかもね」と言い、「いつもながら、いい仕事してくれてありがとう」と言って電話を切りました。
 確かに不思議なめぐり合わせでした。私がいい仕事をしたかどうかは別として、全てのことがまるでHさんの人生のシナリオに書かれていたかのように、目に見えない力によって引き寄せられ、完結したのです。“私”という駒がいつどこでどのようにHさんの人生に置かれることになったのかは、誰にもわかりません。人生は作者のいない物語です。そして、ホスピスナースはその壮大な物語のダイジェスト版に触れ、物語が完成に向かっていく場面に立ち会える、なんとも魅力的な仕事だと、改めて感じた出来事でした。そして、Hさんのように、戦後たった一人で海を渡り、日本人としての誇りを内に秘めたまま、アメリカ人として生きるしかなかった女性たちの事を考えると、国際結婚し、そこに骨を埋めるという覚悟を持った一人として、心から敬意を表したいと思ったのです。
 
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[2019/02/28 14:53] | ホスピスナース | トラックバック(1) | コメント(2)
陽だまり (4)
 翌日、MSWのキンバリーと一緒に訪問すると、グレートデンのジュピターとともにマーサがドアを開けてくれました。アリソンはソファーに座り、片腕にコリンを抱いて、ラップトップに向かって一心に何かを見ていました。私たちに気づくと、「ハーイ」と言い、それからまたラップトップを見つめました。ジュピターがコートを脱ぐキンバリーにまとわりつき、小柄なキンバリーが目の前にあるジュピターの顔に向かって「コラコラ、あっちに行きなさい」と言うと、アリソンはコリンを抱いたまま立ち上がり、「ジュピター!あっちの部屋に行きな!ほら、行って行って!」と怒鳴りました。キンバリーが脱いだコートを私に渡しながら、「私がコリンを抱っこしてるから、ジュピターを向うの部屋に連れて行ってくれると助かるわ」と言うと、アリソンは「ごめんごめん。じゃ、ちょっと抱っこしてて」と言って、毛布にくるまれたコリンをキンバリーに差し出しました。
 コリンは少し小さくなっていましたが、顔色はよく、早めの呼吸をしながら眠っていました。ジュピターを隣の部屋に入れたアリソンは、左手にエナジードリンクをなみなみと注いだグラスを持って戻ってきました。キンバリーが「昨夜はどうだった?少しは眠れた?」と訊くと、アリソンは「それがね、それどころじゃなかったのよ。あいつったら女連れてきてさ、今付き合ってる子みたいだけど、別にそれはいいんだけど、でもさ、普通連れてくる?こういう状況に。息子が死にそうだってときに、連れてくる?彼女も彼女よ、普通、来る?何考えてんだか、さっぱりわかんないわ」と言い、それからノア達のことを機関銃のように話し始めました。3人の年上の女性たちに向かってしゃべり続けるアリソンは、カースワードを使うたびに「ごめん」と言いながら、恐らくほかの誰にも言えない胸の内を吐き出すかのように、現在と過去を行ったり来たりしながら、ノアのこと、病院のスタッフのこと、入院中にあったほかの親たちの事など、とどまるところを知りませんでした。グラスの中身を飛び散らせながら興奮して話すアリソンに、私たちはうんうん、と聞きながら「ちょっと座ったら?」と促すと、アリソンはハッとして、「そうね、ごめんごめん」と言って床に座り、横にグラスを置いてから、キンバリーに向かって手を伸ばしました。キンバリーはコリンを渡しながら、「もしよかったら、またジュディ(チャプレン)に来てもらう?」と訊くと、アリソンは素直に「うん、そうね」と言いました。それから、私の方を見ると、こう言ったのです。「ねえ、本当にこれでいいのかしら?本当に、これがコリンにとって一番いいのかしら?私は正しいことをしているのかしら?PACTの人たちはホスピスが一番合ってるって言って、私だってこの子に死んでほしくないけど、でもあとはもっと苦しむだけで良くならないんだったら、やっぱりホスピスがいいのかって思って。確かにホスピスに来てもらってから前みたいに泣き叫ばなくなったけど、でももしかしたら私はこの子が死ぬのを速めているんじゃないかって気もして...」私はアリソンの潤んだ目を見ると、「私はこれがコリンにとって一番いい選択だと思う。あなたは母親として正しいことをしていると思う。だって、コリンを見て。あなたの腕の中で、こんなに安らかに眠っているじゃない。コリンにとって、これ以上の幸せはないと思う。病院に行っても、彼の運命は変えられない。医療や点滴や人工的な栄養や水分だって、彼の寿命は変えられない。でも、あなたはこうして彼をずっと抱いていてあげられるでしょ。誰にも邪魔されずに、コリンはお母さんにずっと抱っこしてもらえる。それが、コリンが何よりも望んでいることなんだと思うわ」と言いました。アリソンは頷くと、「あのね、この前コリンと散歩した時にね、この子の思っていることがすごくよく伝わってきたの。ケトジェニックダイエットで調子が良かった時は、笑ったり私の言う事に反応したりしたけど、あの時とも違う、なんていうか、コリンが私に話しかけてくるみたいな感じでね。今までそんなことなかったんだけど、この子が私のことを愛してるんだってことがわかったの。それまでは私がこの子を愛してるだけだったのに、ああ、この子も私を愛してるんだって、私にありがとうって言ってるんだって、それがはっきり伝わってきたの。あんなの初めてでね、すごく嬉しかった」と言って、泣き笑いしました。
 翌日、朝方ちらついていた小雪もやみ、陽が差し始めた昼頃に訪問すると、マーサがドアを開けながら「今、二人とも寝てるの」とささやきました。私は静かにドアを閉め、キッチンに行くと、マーサに様子を聞きました。すると、マーサは「それがね、夕べは大変だったのよ。アリソンがね、誰かが駐車場をうろうろしてる、自分の車に何かしようとしてる、とか言い出してね、しまいに誰かが家に侵入しようとしてるって言って、警察呼んだの。彼女、もう3日もろくに寝てないし、口にしてるのはエナジードリンクとリーシーズのピーナッツバターカップだけでね、ノアのこともあったし、かなり神経が参ってたのよ。警官もアパートの周りとか駐車場もよくみてくれてね、私が彼女の状況を説明したら理解してくれてね、何かあったらまた電話してって、電話番号も置いて行ってくれたの。私も彼女を一人にしたくはなかったんだけど、8時には帰らなきゃならなくて。今朝6時に来た時もほとんど寝てなかったみたいで、コリンの薬をあげて、それからやっと横になってね、以来ずっと眠ってるわ。ちょっと前にホスピスのチャプレンも来たんだけど、ぐっすり眠っているのを起こしたくないって、二人のためにお祈りをしてくれてから帰ったわ」と言いました。私は「アリソンのお父さんはいつ来るか知ってる?」と訊くと、マーサは「確か今日、明日には来るって話だっだけど、よくわからないわ」と言い、私は「そう、じゃ、電話して今日来てもらえるか頼んでみる」と言って、以前もらったお父さんの携帯に電話をしました。すぐに聞き覚えのある声が雑音に交じって聴こえてきました。私が名乗ると、お父さんは「ああ」と言い、「何かあったんですか」と訊きました。私はアリソンとコリンの様子を説明し、彼女を一人にするのは危険なので、できるだけ早くこちらに来てもらえないか、と尋ねました。するとお父さんは、「実はいまそっちに向かっている所なんだ。今コネチカットだから、あと3時間くらいでそっちに着くと思うよ。まあ、道路状況にもよるけどね、遅くても夕方までには着くはずだ」と言って、「もう、危ないのかい?」と訊きました。私は「ミルクをやめて三日ですし、それ以前もほんの少ししかあげられなかったし、いつそうなってもおかしくありません」と言いました。それから、「アリソンには何度も説明したし、紙にも書いてはありますが、念のため、お父さんにもコリンが亡くなった時の手順をお伝えしておきます」と言ってから、「とにかくホスピスに電話してください。それだけです。とにかくわからないことがあったり、コリンが亡くなった時、することはたった一つ。ホスピスに電話することです。そしたらナースが来ますから。とにかく、あなたが来てくださると聞いて安心しました」と言いました。お父さんは「わかった。いろいろ世話になるね。連絡してくれてありがとう」と言って電話を切りました。私は少しほっとして、マーサにお父さんが今日来ることを知らせました。マーサもそれを聞いて安心し「良かったわ。私は明日は休みだし。彼女を一人にはできないもの」と言いました。私はマーサと、使っている薬の頻度と残りを確認してから、二人をみるため隣の部屋をそうっと覗きました。
 窓際に置いたソファーの上で、アリソンはコリンを胸に抱いたまま横向きになり、ぐっすりと眠っていました。その眉間にいつもの険しさはなく、疲れ果てているはずなのに、コリンと二人、まるで柔らかな繭の中にでもいるような、優しい顔をしていました。窓からはゆるやかな冬の陽が差し込み、アリソンとコリン、そして、床の上に長々と横になったジュピターを暖かく包んでいました。私はそこに佇んだまま、しばらくその光景を見つめていました。その部屋は静かで、穏やかで、苦しみや痛みとは対極の、完璧な安らぎに満たされていました。私はそうっとソファーに近づくと、息を殺したままコリンの様子を確認しました。彼はさらに小さくなっており、乾いた口で、ハッハと早い呼吸をしていました。肌の色はくすんでいましたが、まだ、柔らかな赤ちゃんらしさがありました。喉の奥のガラガラとした喘鳴もわずかで、けいれんもなく、お母さんの胸で安心して眠っていました。コリンを包んでいた毛布をそうっと戻そうとした時、アリソンが「ああ、来てたの」と言いました。私は、「ごめん、起こしちゃった?」と言うと、彼女はそのまま「いいのいいの。で?」と言いました。私は、「うん、呼吸は早いけど、苦しくはなさそうね。このまま今の薬で大丈夫。お父さんがもうすぐ来てくれるって。お父さんにもホスピスの電話番号渡してあるから、何かあったら電話してって」と言うと、アリソンは優しい表情のまま、「うん」と言い、それから、「いつもありがとう」と言いました。
 翌朝、夜勤ナースの記録を見ると、夜中にアリソンから電話があったとありました。コリンが呼吸しているのかしていないのかよくわからない、と言う事で、夜勤のナースはアリソンをサポートするために訪問してくれたのです。コリンの呼吸は浅く、それでも苦しそうではなく、夜勤のナースは死への自然な過程をアリソンとお父さんに説明し、このまま必要時にモルヒネとロラゼパム、喘鳴があればアトロピンを使うだけで大丈夫だと確認してくれました。そして、ちょうどその記録を読み終わった時、私の携帯電話が鳴ったのです。アリソンからでした。
 「おはようアリソン」と言うと、アリソンは落ち着いた声で、「朝早くにごめん。でも、コリンが亡くなったと思う」と言いました。私は、「わかったわ。今から行くから。この時間なら40分以内に着くと思う。大丈夫?」と言うと、アリソンは、「私は大丈夫。父もいるし」と言いました。私はすぐに支度をすると、上司に‟今からコリンの死亡時訪問するから”とメールし、家を出ました。
 ラッシュ前の高速道路は空いており、スムーズにアリソンのアパートに着くと、お父さんがドアを開けてくれました。お悔やみを言って中に入ると、アリソンがソファーに座っていました。その横に、毛布にくるまれたコリンが静かに横たわっていました。私がアリソンに歩み寄ると、彼女は立ち上がり、私たちは無言でハグをしました。それからコリンが亡くなったことを確認すると、彼に手を合わせてから、改めてアリソンにお悔やみを言いました。アリソンはとても落ち着いており、まるで憑き物が落ちたように穏やかな顔をしていました。そして、「昨夜ね、ホスピスに電話したの。なんか、呼吸が変だったから。そしたらナースが来てくれてね、よく看てくれて、いろいろ説明してくれたから、すごく助かった。なんか、安心したの。そのあとモルヒネあげたら呼吸も楽そうだったし。ちょっとずつ息が弱くなって、でもけいれんもなくて、全然苦しまなかった」と言いました。私は、「電話してくれてよかったわ。アリソン、あなたは本当に素晴らしいお母さんよ。コリンは本当に幸せな子だったと思うわ」と言うと、アリソンは少女の笑顔で「どうもありがとう。それって、私にとって、ものすごく意味のある事よ」と言いました。それからPACTとマーサのエージェンシーに電話をし、コリンが亡くなったことを報告をしました。そのあと葬儀社に連絡しようか、と訊くと、お父さんが「それは俺がやるからいいよ」と言いました。私が、アリソンに「ノアは知ってるの?」と訊くと、お父さんが「それも俺がやってるから」と答えました。私は、アリソンに「お父さんがいてくれて、本当に良かったね。じゃ、私はコリンの薬を破棄するから」と言うと、アリソンは「エーッ!」と言い、それから「冗談よ」と言いました。
 すべての連絡や処理を終え、私はアリソンとお父さんに、ビリーブメントサービス(遺族ケア)のことを説明しました。そして、ビリーブメントコーディネーターから電話が来る前でも、眠れなかったり、食べられなかったり、日常生活に支障が出てしまったりするようであれば、あるいは、ただ誰かと話したい、と思ったらいつでもホスピスに電話してくるように、と話しました。それからアリソンに、「この15か月間、あなたの生活は全てコリンのためにあったでしょ。だからね、多分これはあなたにとって想像以上の喪失かもしれない。でも、あなたにはまだまだ先の人生があって、生きて行かなくちゃならない。悲しみはそう簡単には消えないけど、コリンに愛されていたことを思い出して。彼はいつだってママのことを愛してるんだってことを忘れないで」と言いました。アリソンは、「そうね。私は絶対に忘れないわ。これから彼のいない生活に慣れていくのに時間はかかると思うけど、大丈夫だと思う。いろいろ、どうもありがとう」と言い、私たちはぎゅっとハグをしました。
 アパートを出ると、お父さんが外でタバコを吸っていました。私が「アリソンはとても強い女性ですね。でも、哀しみはあとから押し寄せてくることもあります。お嬢さんを、どうか支えてあげてください。もしも助けが必要だったら、いつでも電話してください。ホスピスにはそうしたカウンセリングやサポートグループもありますから」と言うと、お父さんは煙草を消し、「わかってるよ。俺もできる限りのことはするから、心配しないでいいよ。でも、そういうのがあるっていうのはありがたいね。本当にいろいろと世話になった。どうもありがとう」と言いました。
 私は車に向かって歩きながら、アリソンを取り巻く二人の父親のことを考えていました。娘に「あまりいい父親じゃなかった」と評された彼は、その娘が息子を失うという人生の最も辛い時に、傍にいて支えようとしている。そして、その息子を失った父親は、どこでその知らせを聞いたのかも定かではなく...。それぞれが私の知らない悲しみを抱えているのは確かでしたが、子供に対する親の愛というものを、しみじみと考えさせられたのです。そして、その時じんわりと私の胸に浮かんできたのは、優しい陽だまりの中で眠る、アリソンとコリンの姿でした。あの陽だまりは、親子の愛そのものでした。あの情景こそが、アリソンの選択が正しかったことの証明のような気がしたのです。コリンはあの小さな胸を、母親の愛情でいっぱいに満たして天国へ行きました。子供にとって、それ以上の幸せはあるでしょうか。私は車に乗り込むと、一つ深呼吸をして、エンジンをかけました。するとその時、ちらちらと粉雪が舞ってきたのです。それはまるで、天使たちがコリンを迎えに来たかのようで、ほんの少し、私を笑顔にしたのでした。
 
[2019/02/17 06:06] | 忘れられない人々 | トラックバック(0) | コメント(0)
陽だまり (3)
 アリソンは無事引っ越しを終え、新しいアパートは雑然とはしていましたが、すでに住み慣れた感じさえあり、マーサもアリソンの行動の速さに驚いていました。コリンはてんかん発作は頻回にあるものの、ロラゼパムが良く効き、目覚めているときも機嫌よく、愛情のこもったケアをしてくれるマーサのおかげで、アリソンも安心して仕事ができ、以前のピリピリとした感じがなくなっていました。マーサはいつもコリンのことを「本当に美しい赤ちゃん」と呼び、アリソンに対しても「素晴らしい母親」だと、言葉にしてほめていました。体も話し方もゆったりとしているマーサは、コーヒーに足したクリームのように、アリソンの周りの空間をほんの少しまろやかにしてくれました。アリソンは仕事が一息つくと、コリンと散歩をするようになりました。「散歩しながらね、いろいろ話すの。そうするとね、ちゃんと反応するのよ。ずっとそんなことなかったんだけど、ケトジェニックダイエットにして一時すごく症状が改善された時みたいに、時々笑ったりもするの」と話すアリソンは、その様子を思い出すだけでも幸せ、という顔をしていました。しかし、それもやはり一時的であり、コリンの発作の回数は確実に増え、ロラゼパムやモルヒネを使う頻度も増えていきました。
 いっときは父親としてアリソンに協力していたかのようだったノアも、姿を見せなくなり、さすがのマーサもノアに関しては肯定的なことは言わなくなりました。アリソンは親しい友人がいる様子もなく、両親とは時々電話で話しているようでしたが、基本的にはたった一人でこの状況と闘っていました。マーサが来るのは週四日、朝6時から夕方6時までの12時間で、それ以外は彼女一人でした。アリソンは私たちホスピスのメンバーに対しいつも正直で、良いことも悪いこともハスキーな早口でまくし立てるように話すのですが、私たちの助言にはいつも耳を貸し、言われたことはきっちりとやる几帳面なところもありました。チャプレンのジュディがキンバリーと一緒に訪問した時も、最初に10のことを一度に言おうとしてジュディを混乱させたそうですが、穏やかなジュディと話すうちに落ち着き、自分の子供時代や、ティーンの頃のことを語り、褒められないこともしたけれど、今の自分の状況がその罰だとは思わない、ただ、自分の息子にしてあげられるだけのことはしたいし、とにかく苦しませたくないのだ、と繰り返したのです。
 コリンの発作は短いものと長いものを合わせると、一時間に10回を超えるようになり、定時の抗てんかん薬に加え、ロラゼパムとモルヒネを屯用だけでなく定時でも使うようになりました。また、体温が上下するようになり、発作が起こるたびに中断していた経管栄養も、止めている時間の方が長くなっていきました。コリンは口で呼吸するようになり、喉の奥でグルグルという軽い喘鳴が聞こえるようになりました。私はアリソンにそれがどういう意味であるかを説明しました。そして、彼女はとうとう経管栄養を完全に中止することを決意したのです。私はCHOPに電話をし、状況を伝えると、担当医も同意し、「私たちにできることがあったら何でも電話して」と、いつものように全面的にサポートしてくれました。マーサにも経管栄養の中止を伝え、彼女の上司にも連絡しました。マーサの上司には、ホスピスのケースを受け持ったことがないというマーサにも、ホスピスチームとしてできるだけサポートする旨を伝えると、感謝の言葉とともに「私たちとしてもできる限りの考慮をするつもり」と言ってくれました。
 翌日訪問すると、アリソンは片腕にコリンを抱いて胡坐をかき、床の上に置いたラップトップに向かって仕事をしていました。その横には大きなコップに入ったエナジードリンクがあり、いつものスウェットパンツとTシャツがオーバーサイズかと思うほど、もともと細いアリソンはさらに骨ばって見えました。コリンは経管栄養を中止してから喘鳴も聞かれなくなり、アリソンの腕の中で静かに眠っていました。「昨夜はどうだった?」と訊くと、アリソンは顔をあげず、「うん、まあまあ」と言ってから、「ごめん、ちょっとこれだけやっちゃうから」と言いました。私は「全然かまわないから、切りがいいとこまでどうぞ」と言い、キッチンの椅子に荷物を置くと、マーサに「どう?」と訊きました。マーサはいつもと変わらぬゆったりとした口調で、「ロラゼパムは何回か屯用も使ったみたいだけど、おしっこもしてるし、今のところは落ち着いてるわ」と言い、それから声を潜めて「彼女の方が心配」とささやきました。私は頷き、「ノアは?」と訊きました。マーサは首を横に振り、「しばらく見てないわ」と言いました。私は薬の残りをチェックし、足りなくなりそうなものをオーダーしました。それからリビングに戻ると、アリソンがエナジードリンクを飲みながら、「ごめんごめん。もう大丈夫」と言って、顔をあげました。私は「ちょっとコリン看ていい?」と訊くと、「もちろんもちろん」と言って、彼をソファーの上に寝かせました。コリンは顔色も悪くはなく、呼吸も落ち着いていました。腹部も柔らかく、心拍数は少し早くなっていましたが、穏やかな表情をしていました。私が「抱っこしてもいい?」と訊くと、アリソンは笑顔になって「どうぞどうぞ」と言いました。私がコリンを抱くと、アリソンは「彼はね、本当に強い子なの。それにとても賢いの。ちゃんとわかってるのよ。しかも、音楽の趣味が私とぴったりでね。生まれてすぐの時からロックをかけると泣き止んだのよ。しかも結構な音量でね。きっと、おなかの中にいた時のことを懐かしがってたんだと思うわ。私と一緒に踊るととてもご機嫌だったもの」と言って笑いました。それから一瞬黙ると、こう言いました。「あとどれくらい?」
 私はコリンを抱いたまま、「そうね、多分2、3日だと思う。だんだんおしっこが減って、うんちもしなくなるけど、おなかが張っていなければ心配しなくていいから。口が乾いてくるから、水に浸した口腔ケア用のスポンジで湿らせてあげて。呼吸がハアハアするようだったらモルヒネをあげて、喉の奥がグルグルするようだったらアトロピンを一滴頬っぺたの内側に垂らしてあげて。あとはね、今まで通り、抱っこして、話しかけてあげて」と言いました。アリソンは落ち着いたまま、「わかった」と言いました。「お父さんやお母さんとは話してる?」と訊くと、「まあね。葬儀やさんとも父が話をつけてくれたし。母はまあ、あれだけど」と言い、「ノアは?」と訊くと、淡々としたまま「ああ、コリンの状況は伝えてあるけど、寄り付かないわ。別にどうでもいいの、彼は」と言いました。私は、「そう。連絡とっているなら、それでいいの。彼も父親だからね。で、一番大事なこと、あなた自身はどう?いつ寝てるの?」と訊くと、アリソンはふっと笑って「私は大丈夫よ。マーサがいる間に寝れるし」と言うと、脇に置いてあるエナジードリンクを飲みました。それから、「バカなこと訊くようだけど、死ぬときはどんな風になるの?このまま眠ってるの?それともやっぱりてんかん発作が起こるの?どうしたら死んだってわかるの?」と言いました。私は、「ちっともバカな質問じゃないわ。知らないのは当たり前だもの」と言ってから、だんだん呼吸が浅くなっていくこと、胸とおなかが上下するようになること、無呼吸(呼吸が止まっている状態)の時間が長くなっていくこと、肌の色が灰色っぽくなっていくことなどを説明し、てんかん発作に関しては「ロラゼパムをあげていれば大丈夫だとは思うけど、そればかりはわからない」と言い、その時はてんかん発作時のプロトコールに従って薬をあげるしかない、と言いました。それから、「呼吸が止まって、3分以上次の呼吸がなかったら、それが最後だって思っていいから。とにかく、ホスピスに電話して。呼吸が止まっても、止まってなくても、わからない事や不安なことがあったらいつでも電話してくれればいいの。私のケータイでもいいし。ね?」と言うと、アリソンは「うん。わかった。そうする」と言い、それから両腕を差し出しました。私はアリソンにコリンを渡すと、アリソンはその小さな顔にキスをし、頬ずりしました。陽だまり(4)に続く。
 
[2019/01/28 06:01] | 忘れられない人々 | トラックバック(0) | コメント(0)
陽だまり (2)
 翌日のブラックフライデーに、今度はMSWのキンバリーと一緒に再びコリンを訪問しました。訪問時間は電話でアリソンに確認していたのですが、ドアベルを鳴らしてだいぶたってからドアを開けてくれたのは、アリソンのお母さんでした。お母さんはまるで仔馬のようなグレートデンのジュピターを必死で引っ張りながら、「どうぞ入って」と私たち二人を迎えてくれました。アリソンはメイン州から来た彼女のお父さんと買い物に行っており、もうすぐ戻ってくると言う事でした。私たちは自己紹介をしてから、ソファーに座る場所を作り、しばらくお母さんと話をしていました。お母さんはアリソンのことを心配しつつも、夫の急逝から立ち直っておらず、暗にアリソンをサポートすることは精神的に無理であることを繰り返しほのめかしていました。キンバリーは、アリソンも我々も十分お母さんの状況を理解し、承知していることを伝え、ホスピスチームがアリソンをサポートするので、お母さんは自分の喪失と悲嘆に向き合うことが最優先である事を強調しました。さらに、彼女にとっては孫の喪失と、我が娘がその息子を失うという、二重の痛みであることもわかっていると、敢えて言葉にしました。するとお母さんは、ポロポロと涙をこぼしながら「本当に情けないけど、どうしようもないの。あの子が一番大変な時にそばにいて支えてあげられないなんて、なんて母親だろうって思うけど、私には何もできないの」と言いました。
 ちょうどその時、外の冷たい空気と一緒に、コリンの入ったベビーシートを提げたアリソンが、髭面の背の高い男性と一緒に帰ってきました。お母さんはさっと涙を拭き、鼻をかむと、二人に向かって「ハーイ」と言いました。横にいた私は、そっと彼女の肩をたたくと、彼女は小さな声で「ありがとう」と言いました。アリソンはコリンを覆っていた毛布を取りながら、「ごめんね、待たせちゃった?」と言ってから、「これ、私の父」と、その男性を紹介しました。“あんまりいい父親じゃなかった”とアリソンが表現していたお父さんは、見た目はバイカーのような雰囲気の、どっしりと落ち着いた人でした。私たちが自己紹介をすると、「いろいろと世話になります。自分は今夜メインに戻るけど、また来るし、何かできることがあれば遠慮なく電話してくれていいから」と言って、携帯番号をくれました。アリソンは前日とはまるで別人のようにリラックスしており、相変わらず早口ではありましたが、両親の前ではどこか娘に戻ったような、安心したような、柔らかな表情をしていました。コリンはたびたびてんかん発作を起こしていましたが、昨日から使い始めたロラゼパムが良く効き、それまでのように発作後泣き叫ぶことはなくなっていました。もともと発作にはロラゼパムを使っていたらしいのですが、液体ロラゼパムは添加剤の中にコリンの症状を悪化させる砂糖が含まれているため、やはり抗てんかん薬のダイアゼパムの座薬を使うようになったのでした。しかし、ダイアゼパムの効果は薄れてきており、だったらロラゼパムの錠剤を粉砕して水に混ぜてGチューブから投与すればよいのでは、と、試してみたのが功を奏したのでした。
 その日、キンバリーがコリンのお葬式のことを尋ねると、アリソンはすでに考え始めており、キンバリーに、できればポーランド系のカトリック教会の近くの葬儀社を使いたいと言いました。ニュージャージーに住んでいたアリソンはこの辺りの教会をよく知らず、キンバリーは葬儀も埋葬もペンシルベニアで行うというアリソンの意向を確認してから、「葬儀社によっては子供、特に赤ちゃんの場合特別な計らいをしてくれるところもあるから、それも含めてうちのチャプレンにポーランド系の教会に問い合わせてもらうわ」と言い、「それにもし良ければ、チャプレンに来てもらって、話をしてみたらどう?」と尋ねると、アリソンは躊躇することなく「そうね、それがいいわ」と言いました。コリンは私たちが話している間すやすや眠り続け、Gチューブから入れるミルクも問題なく消化し、全身の筋緊張が緩く自発的に体を動かさないことを除けば、まるで健康な赤ちゃんのように見えました。そこで、母親と祖父母と一緒にこの子のお葬式の話をしているという現実が、かえって非現実に思えるほどでした。
 翌週、約束の時間に訪問すると、60代くらいの女性がソファーに座り、アリソンと話していました。アリソンは、「ああ、前に話したほら、エージェンシーナースの人。今日は面接っていうか、顔合わせね」と言い、その女性に「コリンのホスピスナースのNobuko」と紹介してくれました。私たちがお互いに挨拶をしていると、隣の部屋からノアが出てきました。そして、何かひとこと言ったかと思うと、たちまちアリソンと言い合いになり、初日をほうふつとさせる怒鳴り合いが始まってしまいました。二人がやり合っている間、マーサというその女性はこっそりと、「コリンはターミナル(終末期)なの?」と訊いてきました。私は驚いて、「え?エージェンシーから聞いてないんですか?」と訊き返すと、マーサは「いいえ。今初めて」と言いました。すると、ノアとの怒鳴り合いの傍ら私たちの会話を小耳にはさんだアリソンが、「そうなの、いつもそれが問題だったの。みんなコリンがターミナルだって聞いてないから、びっくりして怖がっちゃうのよ」と言ったのです。私はあきれながら、「それはひどいわ」と言うと、マーサは「まあ、そんなものよ」と言いました。私はあらためてマーサに「今までホスピスの子供をケアしたことありますか?」と訊くと「ケア度の高い子はたくさん看て来たけど、ホスピスの子はいなかったわ」との答えでした。私は「大丈夫ですか?」と訊くと、マーサは落ち着いた口調で「そうね、大丈夫だけど、何か特別にしなきゃいけない事があるのかしら?」と言いました。私は少しほっとしながら、「いえ、特別なことは何もないです。何かあればホスピスに電話してください。何か指示が変わるときは、ホスピスのオフィスかCHOPから直接そちらのオフィスにファックスかメールで指示を送りますから。基本的に救急車は呼ばないで、ホスピスに電話してください。とにかく、ゴールはコリンが苦しまないようにすることですから」と言うと、マーサは「だったら問題ないわ」と言いました。私は、ゆっくりとした口調で話しちょっとしたことでは動じないマーサが、まさにこのケースにぴったりだと思い、彼女に決まってくれることを内心願っていました。アリソンとノアに対しても、ゆったりと構え、二人に向かってはっきりと、しかし決して高圧的な感じではなく「私はテンションが低い人間だから、私のペースでコリンのお世話をするけれど、30年以上ナースとしての経験があるから安心して任せてほしい」と言い、アリソンも「そう言ってくれる人が欲しかったのよ」と言って、詳しいスケジュールなどを説明し始めました。その間に私はコリンのアセスメントをし、薬の確認をしました。時々短いけいれんを起こしましたが、薬が必要なほどは続かず、あとはすやすやと眠っていました。アリソンは「ホスピスに来てもらってから、結構調子がいいの。前みたいに泣き叫ぶこともなくなって」と言い、それから「そうそう、今週末に引っ越すことにしたの。ここは狭いし、CHOPに行くのも遠いから。今住所は手元にないけど、行くところは決まってるから、わかったら教えるわ」と言いました。私は、今、こういう状況の中で引っ越しを考えていたアリソンに驚きましたが、私たちの訪問範囲内の地域である事だけを確認し、「引っ越しはだれが手伝ってくれるの?」と訊くと、アリソンは「あ、それは大丈夫。なんとかなるから」と言い、キッチンからノアが「俺もいるし」と言いました。私とマーサは顔を見合わせ、眼だけで”おばさんには理解できないけど、ま、大丈夫でしょう”と頷き合いました。陽だまり(3)に続く。
[2019/01/14 15:18] | 忘れられない人々 | トラックバック(0) | コメント(0)
陽だまり (1)
 11月の第4木曜日は、アメリカ人にとっては宗教に関係なく大切な祝日、サンクスギビング(感謝祭)です。家族が集まって、伝統的なターキー(七面鳥)のローストや、ヤム(水気の多いサツマイモの一種)、インゲン、クランベリーソースなどのディナーを囲み、デザートのアイスクリームを添えたパンプキンパイやアップルパイを食べながらフットボールの試合を見たりして過ごすのが、一般的なアメリカの家庭の様子です。翌日はブラックフライデーと言われる、クリスマスショッピングの幕開けとでもいうようなバーゲンセールが行われます。数年前までは深夜から開店時間を待って座り込んだり、開店と同時に店内に殺到する半狂乱になった人々が、けがをしたり死亡者が出たりしたため、最近はサンクスギビングの夕方からセールが始まるようになりました。
 そんなサンクスギビングですが、もちろんホスピスに休日はありません。今年は私が勤務する番でした。そして、その日のハイライトは生後14か月の赤ちゃんのアドミッション(初回訪問)でした。小児ケースのアドミッションの場合、MSW(メディカルソーシャルワーカー)と一緒に訪問し、また医療機器や薬などがすぐに手配できるよう、祝日は避けるのが通常なのですが、今回は母親の希望で一日でも早くホスピスケアを始めたいと言う事でした。しかし、依頼してきたフィラデルフィア小児病院(CHOP)のわれらがパートナーPACT (Pediatric Advanced Care Team)からは、すでに基本的な情報を得ていたので、祝日独りの小児アドミッションでも、それほど緊張はしていませんでした。
 晴天ながらも最高気温が氷点下2℃、1901年以来一番という寒いサンクスギビングの道は空いていて、すれ違うのは、それぞれの差し入れを持って、家族の集まるもとへと向かう人たちを乗せた車ばかりのような気がしました。そして、そんな日に敢えてホスピスナースをリクエストした若い母親の、切羽詰まった心情を思うと、これから足を踏み入れる誰かの人生との対面に、いつも以上に気が引き締まりました。アパートメントコンプレックスと言われる、どこにでもある集合型のアパートのドアのベルを鳴らすと、しばらくしてからドアが開き、同時にものすごい早口で怒鳴り散らすハスキーな声とともに、巨大なグレートデンが、今にも私の顔を舐めそうな勢いで出てきました。あっけにとられている私に一言「sorry(ごめん)」と言いながら、彼女は手招きし、今度は犬にも怒鳴りながら部屋の中に入りました。私はとりあえず自己紹介をしてから、状況を把握しようと部屋を見回しました。彼女が怒鳴っている相手は別の部屋にいるようで、ところどころ聞き取れる言葉から察すると、どうも赤ちゃんの父親のようでした。そして、ソファーが一つあるだけのがらんとした部屋の床にぽつんと置かれたベビーシートの中で、すやすやと眠る赤ちゃんを見つけました。それが、コリン(仮)でした。
 母親のアリソンは私を気にしながらもドアの向こうに向かって怒鳴り続け、私は「気にしないで、先に話をつけていいから」と言って、彼女を別の部屋に行かせました。しばらくの間、彼女のマシンガンのような罵りと、何とか彼女をなだめようとする相手のやり取りを聞きながら、月齢にしてはかなり小さいけれど、一見健康そうなコリンを眺めていました。コリンは生後6週間で、先天性のてんかんの中でも珍しい、大田原症候群という、進行性ミオクローヌスてんかんと診断されました。経口摂取ができないため、ボタン型の胃ろう(経管栄養を流すチューブとの接続部が腹部に密着したスナップのようになっているもの)を使っており、薬もすべて胃ろうから注入していました。アリソンは少し落ち着いたのか、別の部屋から戻り、彼のことは話題にもせずに「ごめんね」と言ってから本題に入りました。痩せて、左手にはエナジードリンクの入った大きなグラスを持ち、常に体の一部を動かしているアリソンは、ソファーの私と向き合って床に座り、傍らにラップトップを置くと、「準備オーケー」と言いました。私は、「彼はいいの?」と訊くと、「ああ、いいのいいの。関係ないから。どうせ何もしないんだもの。私がずっと一人でコリンを育てて来たんだし、今まで何一つ父親らしいことなんてしなかったくせに、ホスピスが来るからって急に父親面しようとしてるだけよ」と一気にまくしたてました。私は、「そう、じゃ、あなたが親権を持っているのね?」と確認すると、アリソンは「もちろんよ。コリンは私の息子だもの」と言いました。それから、コリンが発症してからのこと、医療事務のコーダー(医療記録を記号化=コード化する)として働きながら一人で育ててきたこと、隣のニュージャージー州で生まれ育ち、ペンシルベニアにはつい最近、CHOPに通いやすいように引っ越してきたこと、コリンのためにいろいろな治療を試して、一時はケトジェニックダイエット(ケトン体食餌療法)で目に見えて回復したのに、なぜか中止されてしまったこと、そのあとニュージャージーの病院ではらちが明かないためCHOPに行って、やっとケトジェニックダイエットを再開してもらえたけれど、すでに遅すぎたこと、ここ数ヶ月でてんかん発作の回数が目に見えて増えてきたことなどを、ところどころカースワード(FやSで始まる悪態をつく言葉)を交えながら、それでもきちんと筋道を立てて説明してくれました。仕事をしている間、誰がコリンをみているのかと聞くと、「仕事は家でしてる。週4日保険がカバーしてくれるプライベートナースに来てもらってるんだけど、それが問題なの。すぐにやめちゃったり、時間にルーズだったり、一番いて欲しい朝の忙しい時に来なかったり、何かあると隣の部屋で仕事してる私を呼んだり、とにかくなかなかいい人が見つからなくて。もちろんコリンは自分の息子だもの、私が世話するのはやぶさかじゃないけど、でも仕事しなきゃならないし、そのために来てもらってるんだから、あっちだって自分の仕事はするべきでしょ。実は来週、新しいエージェンシーの人をインタビューする予定なの。これで4社目。今度こそいい人だといいんだけどね」
 私は小児ホスピスの目的とサービスの内容を説明し、どうしてアリソンがこの時期にホスピスを選んだのかを尋ねました。すると、アリソンはこう答えました。「私も半年前だったらホスピスなんて考えもしなかった。誰だってそうでしょ?自分の子供にホスピスなんて、まるで諦めたみたいじゃない。でも、コリンのてんかんがどんどん酷くなって、薬もだんだん効かなくなって、苦しそうに泣き叫ぶのを見てたら、もしかしたら私がこの子を苦しめてるんじゃないかって、無理やり生かそうとしてるんじゃないかって思うようになってきたのよ。治らない、回復しない、あとはもう、てんかんが起こるたびに苦しむしかないのなら、病院に連れて行ったところでできることは決まってるじゃない。CHOPでコリンと同じような病気の子たちをたくさん見たわ。みんな、コリンみたいに強くなかった。針やチューブやマスクをつけて、モニターの音に囲まれて、結局死んでいった。私は自分の息子にあんなことしたくないの。少しでも苦しまないで、私のことを感じて、自分の家にいさせてあげたいの。ホスピスだったらそれができるって、PACTの人が言ってたから。私は望みを捨てたわけじゃない。でも、コリンに苦しい思いをさせるのは嫌なの。この子が泣き叫ぶのをもう見たくないの。」
 私は、「よくわかったわ。つまり、家でコリンを看取る事があなたのゴールなのね。ホスピスは、コリンとあなたができる限り平穏で、苦しまずにその時を迎えることができるよう、全力でサポートするから」と言い、それから、アリソンの家族、両親や兄弟姉妹について尋ねました。アリソンは最初、「ああ、そんなものいないいない」と言って済ませようとしたのですが、「兄弟は?」「お母さんは?」「お父さんは?」と少しずつ聞いていくうちに、年の離れた兄とは何年も話しておらず、両親は彼女が中学生の時に離婚、母親の再婚相手はいい人だったが、2か月前に突然癌で亡くなり、父親はメイン州にいてあまり交流はないし、もともとあまり良い父親ではなかった、母はニュージャージーにいて、夫の突然の死から立ち直っておらず、孫にホスピスケアなんて、到底受け入れられない状態である事などを話してくれました。コリンの父親であるノアとは結婚しておらず、コリンの状態が悪化してきたため、最近になってアリソンのアパートに寝泊まりすることを許したけれど、彼は夜勤の仕事をしており、昼間は寝ているし、何につけてもいい加減で信用できない。つまり、自分以外頼れる者はいないのだ、と言う事でした。アリソンは、自分自身、ADHD(注意欠陥、多動性障害)があり、バカなこともしてきたけれど、息子のためにはできることは何でもやったと自負している、と言い、私が「あなたは驚くべきお母さんだわ」と言うと、急に少女のような笑顔になって、「どうもありがとう」と言いました。
 それから、薬やミルクをチェックしていると、いつの間にかノアが出てきて、私は自己紹介とホスピスケアについてざっと説明しました。ノアはさっきの怒鳴り合いなどまるでなかったかのような様子で、父親としてコリンがホスピスケアを受けることを了承し、自分もできることは何でもやるつもりだ、と言いました。アリソンは何も言わず、コリンを抱き上げました。一見雑で無造作な抱き方でしたが、自分の息子を知り尽くしている、という自信に満ちた仕草に、この14か月の間にアリソンが経験してきた悲喜こもごもを垣間見たような気がしました。 陽だまり(2)に続く。
[2018/12/26 14:51] | 忘れられない人々 | トラックバック(0) | コメント(0)
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プロフィール

Author:ラプレツィオーサ伸子
アメリカ東海岸で在宅ホスピスナースをしています。アメリカ人の夫、子供3人、犬一匹と日々奮闘中。

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