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ホスピスナースは今日も行く
アメリカ在住日本人ナースが、ホスピスで出会った普通の人々の素敵な人生をおすそわけします。
働き方改革?タスク・シフティング?
 年に何回か、日本から研修に来る医療関係者の通訳をすることがあるのですが、その時、特に医師、看護師、薬剤師の方々が驚き、うらやましがることの一つが、徹底された分業です。医師にはPA(フィジシャン・アシスタント)やNP(ナース・プラクティショナー)、看護師にはナーシング・アシスタントあるいはナースエイド(介護士、看護助手)、薬剤師にはファーマシー・テクニシャンという人たちが、日本のお医者さん、看護師さん、薬剤師さん達がやっている業務の一部を担っています。もちろん、研修先は全米でもトップの方に入る大きな大学病院なので、アメリカの病院がすべてそうだというわけではありません。それでも、やはり、日本に比べて残業時間が短いのはそうした分業によるところが大きいのではないかと思います。ただ、それでも人手不足の問題は深刻で、残業というよりはダブルシフトなど、スタッフィングの悩みはどこでもあるようです。
 例えば、薬剤師さんの場合、実際に薬を詰めたりするのはテクニシャンで、薬剤師はそれを監督する立場にあります。最終的な確認と責任は薬剤師にありますが、テクニシャンも自分の仕事に責任を持って行っていますので、上下関係というわけではなく、それぞれが独立した職種であるという意識があります。バイタルサインの測定や、シャワーや清拭などの保清、食事や排せつの介助、移動の介助などは、ナーシング・アシスタントの仕事です。大きな病院だと、患者さんの移送介助専門のスタッフがいたりします。
 在宅ケアでも、看護師はホームヘルスエイドのケアプランを立て、それを監督する責任がありますが、エイドの上司ではありません。もちろん、在宅の場合、ナースが訪問している間に排泄介助が必要だったり、シーツを換えなくてはならない状況になることはあり、そういう時は当然ナースが行いますし、エイドさんを手伝う事もあります。ただ、基本的に保清や排せつ、食事介助などはナースの看護計画にはありません。と言う事を、先日、日本からいらした地域医療をされているお医者さん方に話したところ、とても驚かれました。そして、患者さんの保清や介助というスキンシップは、コミュニケーションやアセスメントにとても大切なことなのに、それをエイドにやらせてナースは監督するだけで大丈夫なんですか?というような質問をされたのです。それを聞いて、私は自分がずいぶん長くアメリカでナースをしていることを実感しました。
 もちろん、アメリカの看護師の業務にも患者さんの療養上のケアは含まれるのですが、それはSkilled careと言って、医療者としてのライセンスを持った人間による医療行為を指します。それらはつまり、看護師ではなくてはできないこと、例えば投薬の管理、包帯交換、アセスメントによる患者さんの状態の把握と管理、医師との連携、看護計画やタイムリーな記録、患者さんや家族への薬や疾患、療養上の指導、また、精神、心理的なサポート、などなどがあります。もちろん、いま日本で話題のACP(アドバンスケアプランニング:人生会議)もその中に含まれます。そして、日本の看護師の業務内容と看護助手、介護士の業務内容を見ると、保清を含め、オーバーラップしていることがずいぶんあるのです。つまり、看護助手や介護士ができることをそちらに全て任せしまえば、こうした、看護師でなくてはできない事にもっと時間を使えるわけです。そして、スキンシップやコミュニケーションというのは、保清の時だけに限らず、アセスメントや、そのほかの看護の過程で十分とることができるのです。しかし、こういう事を、日本のお医者さんは知らないのではないか、というより、ほかの医療職がどういう事をする人たちなのかを、お医者さんだけでなく、お互いが良く理解していないのではないでしょうか。さらに、日本のナース自身、保清などの療養上の世話を大切な看護業務であると思い込んでいる(というよりも、そう教育されている)のかもしれません。
 在宅ケアの場合、病院や施設のように次のシフトに申し送りと言う事はない分、その日訪問したケースに関してはその日のうちにかたをつけ、記録を終わらせて、サーバーにアップしなくてはなりません。特に、新しい患者さんや、新しいオーダーや薬の変更があった場合などは、オンコールの夜勤ナースが最新の情報を見れるようにしておかなければなりません。 日によって、どの患者さんも調子が良く、スムーズにいく日もあれば、逆に看る人看る人調子が悪かったり新たな問題があったり、急変したり、初回訪問に3時間以上かかったり、なんていう日もあります。患者さんの家を出た後も、電話やオンラインで薬や物品をオーダーをしたり、緊急訪問の電話がかかってきたり、受け持ちの医師に何度電話しても返事がもらえないことなどは日常茶飯事。そんな忙しい日は、とばっちりを受けるのが夫と子供たちです。というのも、何とかその日のうち(もしくは明け方まで)に記録を終わらせるために、どうしても犠牲になるのは晩御飯なのです。基本的に我が家の晩御飯は、タンパク質(肉か魚)と野菜が一緒に、オーブンに入るか、ル・クルーゼの大鍋に入るか、圧力鍋に入るかのどれかで、後はお米を炊くだけなのですが、さらに簡単なスーパー手抜きメニューがいくつかあります。恥ずかしすぎてここには書けませんが、要するに分業が進んでいるアメリカでも、ナースのやることはそれくらいたくさんある、と言う事なのです。アメリカの病院のナースは自分のシフトが終わると、時間内に終わらなかった分は次のシフトにお願いします、というのが基本で、訪問看護から病院などのシフト勤務に戻る人のほとんどは、そういう、自分のシフトが終わればその日は終わり、家で仕事はしない、という生活リズムが必要だからという理由でした。
 つい先日も、日本から研修に来た看護師さんたちにお会いしたのですが、こうしたタスク・シフティングについては、長いこと言われてはいるものの、なかなか実現されず、話を聞いたところでは、私が日本の病院で働いていた30年ほど前と現状はあまり変わっていない様子でした。それでも、この看護師さんたちはこの研修でかなりの刺激を受けられたようで、アメリカのナースたちから学んだことと、日本のナースたちの素晴らしいところを、どちらも受け入れながら、日本のナースができることをもっと広げ、医療を支え、けん引していく役割にあるという自覚を持てるようにしていきたい、そして、社会にそれが認められるよう、社会的地位も自分たちで向上させていかなければ、と、張り切っていました。そして、何よりも感銘を受けていたのは、アメリカのナースは褒められたり認められる機会がたくさんある、と言う事のようでした。そこは看護界に限らないとは思うのですが、日本人は向上させるため、出来ていないところをより良くすることに注目する、つまり90点をすごいと褒めるよりも、なぜ残りの10点が取れなかったのかを責める傾向があります。褒められた嬉しさを次のステップへの活力につなげようとするアメリカ人と、責められた口惜しさを活力にさせようとする日本人の気質の違いなのかもしれません。要するに、“できて当たり前”なことを、いちいち褒めていられるか、と言う事なのでしょう。それでも、やはり、人間というものは褒められればうれしいし、認められると自信がつきます。さらに、そうしたナースを認めたり表彰したりすることで、「ナースはこんなに素晴らしい仕事をする人たちなんだ」と言う事をアピールすることにもつながるのだと思います。
 日本の医療者の働き方改革は、タスクシフティングが結構なカギを握っているように思えます。医師は看護師にできることをどんどんやってもらえばいいし、看護師は看護助手や介護士にできることをどんどんやってもらえばいい。そして、看護助手や介護士の報酬を見直して、労働に見合ったものにすることで、大変だけどやりがいのある職業として選ぶ人が増えてくれればいいのに、と、一人、勝手な妄想をしているのですが、現実は様々な壁が立ちはだかっていて、難しいのでしょうね。がしかし、超高齢化に拍車をかけている日本、あまり悠長なことは言っていられないのではないでしょうか。
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[2019/06/15 16:23] | つぶやき | トラックバック(0) | コメント(0)
幸せのピナコラーダ (3) 
 その日私が訪問すると、リンダさんは居間のソファーに座り、部屋の中央には8、9歳くらいの女の子がバレリーナのようなフワフワのスカートをはき、バイオリンを抱えて立っていました。春休み中のお孫さんで、グランマにミニコンサートをしに来ていたのです。私はそうっとキッチンの方に行って荷物を置き、ニコニコして女の子を見ているご主人と娘さんの横に立ちました。お孫さんはちょっと緊張しながら、習いたての曲を2曲弾き、みんなから拍手をもらうと、恥ずかしそうにお母さん(リンダさんの娘さん)の方を見ました。リンダさんはニコニコして「とっても良かったわ、どうもありがとう」と褒めてから、「バイオリンの練習は好き?」と訊きました。お孫さんは今度はちらりと自分のお父さんの方を見てから、リンダさんに向かってうなずきました。リンダさんは笑って、「練習は大事よ。練習すれば上手になるし、上手になると楽しくなるわよ」と言うと、お孫さんは嬉しそうにうなずいて、にっこり笑いました。それからバイオリンをしまうと、「グランマ、新しい水着を見せてあげる」と言って、買ってもらったばかりの水着とサングラスを袋から出しました。虹色のちょっとキラキラした水着を見て、リンダさんは「まあ、素敵。その水着を着てサングラスかけて、白い帽子をかぶったら、パーフェクトね。ビーチで一番目立つわよ」と言うと、手招きをして「グランマにハグしてちょうだい」と言いました。お孫さんはリンダさんにハグし、キスすると、娘さんが二人の写真を撮りました。すると、リンダさんが、「あら、せっかくだから乾杯しているところを撮ってよ」と言って傍らにおいてあったガラスのマグカップを持ち上げました。すると、娘さんが私に「あの中に入っているのは、リタズのピナコラーダなのよ」とささやいたのです。「あれからね、母ったらすっかりピナコラーダにはまってね。実は、リタズだけじゃなく、本当のピナコラーダまで飲んだのよ。びっくりでしょ。」ご主人が笑って「それ、じゃ、お前さんはこれを持って」と言いながら、脚付きのグラスをお孫さんに渡しました。お孫さんは不思議そうに「なんでこれなの?」と言うと、娘さんが「グランマはね、あなたと乾杯したいのよ。いつかね、あなたが大人になったらわかるから」と言いました。そして、お孫さんと乾杯のポーズをとると、リンダさんは嬉しくて仕方ないという、満面の笑みを浮かべました。
 リンダさんのPEGチューブは少しずつ押し出されてはいましたが、なんとか抜けずに保たれていました。娘さんのアイデアでチューブを太腿に着けるレッグバッグの代わりに、2Lの大きな廃液バッグにつなぎ、そのバッグを歩行器に下げて廃液チューブがPEGチューブを引っ張らないよう余裕を持たせ、小さなタオルを丸めた枕でPEGチューブを支えてちょうどよい位置を保つことで、かなり漏れを抑えることができていました。娘さんは、「あなたがPEGチューブが抜けた時のことを話してたでしょ。それで、いっそのこと抜ける前から同じことをしてみたらどうかしら、って思ったのよ。どうして今まで思いつかなかったのかしらね、まったく」と言って、自分のおでこをぺしりとたたきました。私は感心して「本当に!素晴らしいアイデアですよ。こんなシンプルなことで全然違うんですからね。すごいです」と言うと、リンダさんも「本当に、娘たちのおかげでどんなに助かってるか」と言いました。それから、私が「そういえば、リンダさん、ピナコラーダにはまってるんですってね。娘さんから聞きましたよ」と言うと、リンダさんは「そうなのよー。私ね、今になって新たな人生の楽しみを覚えたのよ。この世にあんなにおいしいものがあったなんてね。なんてもったいないことしてたのかしら」と言ってふふふ、と笑いました。ご主人も「そうなんだよ。この人ったら、毎晩パーティーさ」と言って、片目をつぶりました。
 リンダさんは次第に立ち上がるのが難しくなってきましたが、適宜増量したフェンタニールとモルヒネが効いて、痛みを訴えることはほとんどなくなっていました。そして、リクライニングチェアで眠っている時間が増え、とうとうリビングルームに電動ベッド入れることにしました。褥瘡予防のエアーマットレスを敷き、ベッドから起き上がることはできなくなった代わりに、いつも誰かがベッドの周りにいるようになりました。あんなに気に入っていたリタズのピナコラーダもほんの少し舐めるだけになり、水を飲む量も減って、PEGチューブからの漏れも少なくなり、フィスチュラのパウチもほとんど空のままでした。昼も夜も、リンダさんのベッドサイドには誰かがいました。訪ねてくる人達は、リンダさんが眠っていれば、ただ横に座り、目覚めていれば手を握って静かに話をし、リンダさんはそれをニコニコとうなずきながら聞いていました。リンダさんの家には、リンダさんと、彼女を愛している人たちのやさしさと悲しみが漂い、そこにいるだけで、リンダさんの人生を感じることができるのでした。それは、そこでの自分の役割の重さを否応なく自覚させ、リンダさんの望みが叶うよう、それによって残される家族も心残りがないよう、そしてまた、私自身悔いが残らないよう、できることは全てしたいと思いました。MSWのキンバリーやチャプレンのジムも訪問し、リンダさんやご主人の話を聞き、一緒に祈りました。
 その日は、いつにもましてたくさんの人がリンダさんを訪ねに来ていました。私はPICCラインを流してからドレッシング(固定しているテープ)を取り換え、チューブやパウチをチェックし、アセスメントを終えると、リンダさんに「気分はどうですか?」と訊きました。リンダさんは「とってもいいわ。どうもありがとう。あなたはいつも私を気分良くさせてくれるの」と言いました。私は、「それは良かったです。じゃ、私はちゃんと役目を果たしているみたいですね」と言うと、リンダさんは「あら、もちろんよ。あなたは立派に役目を果たしているわよ」と言いました。それから、ご主人と娘さんの名前を呼ぶと、「ここに来て。近くに来てちょうだい」と言いました。それから、「みんな、顔を見せて」と言いました。私はベッドサイドから離れました。ご主人と娘さんが「なあに、どうしたの?」と言いながら傍に来ると、リンダさんは、「ああ、それでいいわ。しばらくここにいてちょうだい」と言いました。ご主人が「もちろんさ。僕たちはずっとここにいるよ。君があっちに行けっていうまではね」と言ってリンダさんの手を取ると、リンダさんはふわりとほほ笑んで、「わかってるわ」と言いました。私は荷物をまとめ、リンダさんに「それじゃリンダさん、明日また来ますね。うちのドクターが来週またリンダさんに会いに来るって言っていましたよ。先生のおかげでリンダさんがピナコラーダにはまったって言ったら、”それは良かった”って笑ってましたよ」と言うと、リンダさんはにっこりして手を振りました。私は娘さんに目でサインを送ると、彼女は「お母さん、私はNobukoを見送ってくるわ」と言って玄関の外まで私と一緒に出てきました。それから、「どう思う?」と言いました。私は、「これは私の勘なんですが、リンダさんは準備ができているような気がします。もしかしたら、これからは速いかもしれません。とにかく、何か変わったことや分からないことがあったら、いつでもホスピスに電話してください」と言うと、娘さんはうなずいて、「なんだかね、私もそんな気がするの」と言いました。
 それから数時間後の午後4時半ころ、娘さんが電話で「母がね、なんだかとっても落ち着かないの。痛みはないんだけど、とにかく動揺しちゃって、不安なんだか、とにかく穏やかじゃないんですって。ロラゼパムは30分前に飲んだんだけど、いつもみたいに効かないみたいなの」と言ってきました。私は、「それじゃ、コンフォートパックに入っているハロペリドールをあげてください。終末期譫妄と言って、最期に近づいてきた人がそんな風に落ち着かなくなることはよくあるんです。30分経ってもハロペリドールが効かないようであれば、ホスピスに電話してください。それから、多分、数時間から数日、つまり、いつ亡くなってもおかしくないという段階だと思ってください。そして、亡くなった時はホスピスに電話してください。そうしたら何時でもナースが伺いますから。あと、これは必ずご家族に言うのですが、なぜだか、一人になった時に亡くなる人が多いんです。家族がずっとそばにいたのに、ほんのちょっと席を立った間に亡くなったりすることは、本当によくあるんです。だから、もしもそうだったとしても、それはリンダさんの時間なのだと思ってほしいんです」と言うと、娘さんは「わかったわ。父にも伝えます。いろいろとどうもありがとう。あなたの専門知識とアドヴァイスのおかげで、私たちは本当に助かったの。母は最期の日々を本当に幸せに過ごせたと思う。ホスピスの人たちはみんな、本当に素晴らしいわ。心から感謝してます」と言いました。私は、「そう言ってもらえると、私たちも嬉しいです。でも、何よりも素晴らしいのはリンダさんとご家族の皆さんです。あなたとお父様がされたことは、簡単なことじゃないし、誰にでもできることじゃありません。何よりも、あなたのご両親のお家はいつも愛があふれていて、私も幸せな気持ちになりました」と言い、それから、「もしかしたら、明日またお会いできるかもしれません」と言うと、娘さんは「そうね、そうだといいわね」と言って電話を切りました。
 翌朝早く、リンダさんは眠ったまま、静かに息を引き取りました。ハロペリドールをのんだ後、リンダさんは落ち着いて、しばらく眠りましたが、目が覚めると、喉が渇いたと言ってほんの少し水を飲み、それからいつものようにご主人におやすみを言うと、再び眠りにつきました。そして、明け方、ご主人が様子を見に行った時にはもう、リンダさんは目覚めることはなかったのです。お悔やみの電話の向こうで、ご主人はこう言いました。「あっけないほど、穏やかな最期だったよ。本当に、こんなにあっけないものだとは思わなかったよ。でも、もう苦しまなくていいんだからね。本当に終わったんだ。いろいろと、どうもありがとう。」
 電話を切ったあと、私は、ピナコラーダのグラスを持ってお孫さんと乾杯をしたときの、リンダさんの笑顔を思い浮かべていました。あの写真は、きっとあのお孫さんの宝物になることでしょう。あの子が大人になって、ピナコラーダを飲んだ時、子どもの頃、優しかったグランマと乾杯したことを思い出すでしょう。そして、あの時なぜグランマは自分と乾杯したかったのか、その時きっとわかるでしょう。リンダさんのあの笑顔は、自分がすでにいない未来に思いをはせながら、その未来に生きているお孫さんへの贈り物でした。そんな、現在と未来をつなぐ瞬間に立ち会えて、私もまた、ピナコラーダを飲むたびに、きっとリンダさんのあの笑顔を思い出すのだと思います。心の中で、幸せのピナコラーダに乾杯しながら。
[2019/05/31 20:18] | 忘れられない人々 | トラックバック(0) | コメント(0)
幸せのピナコラーダ (2) 
 リンダさんの痛みは、液体モルヒネを使い始めてから、だいぶ楽になってきました。モルヒネを実際に使う量を考慮し、フェンタニールのパッチの用量も見直しました。TPNをやめてからは、吐き気も消失し、下肢の浮腫みも減りました。しかし、相変わらずPEGチューブからの漏れが激しく、その度にびりびりと刺すような刺激痛が走り、それでも喉が渇いて仕方ないリンダさんはどうしても水を飲まずにはいられず、何とかできないものかと知恵を絞りました。同時に、この次チューブが抜けたらどうするか、と言う事も話し合いました。私は、恐らく中から腫瘍によって押し出されると言う事は、入れ直してもまた同じことの繰り返しになり、いっそのこと抜けた後の穴の部分にストーマ用のパウチを装着し、そこに直接廃液させるという手もある、と説明しました。ただ、口から飲んだ分だけ直通で流れ出てしまうのでパウチでは小さすぎるため、さらに膀胱カテーテルにつなげる2リットル用の廃液バッグをパウチにつなぎ、それを椅子やベッドのわきに下げたらどうかと提案しました。リンダさんも家族もその案に賛成で、万が一チューブが抜けても、ERには行かないと決めたのです。
 私は再びWOCNに訪問依頼すると、状況が良くわかっている彼女は、もう一度トライしてみると、スケジュールを調整してくれました。また、メディカルディレクターのカールが、私の報告を聞いて、一緒に訪問して状態を診てくれることになりました。ホスピスのメディカルディレクターが患者さんを訪問するのは、2度目の再認定(ホスピスケアを始めてから、180日)の後、60日毎に再認定をするための診察をする時が通常なのですが、それ以外の時でも、患者さんの状況によってはナースと一緒に同行してくれることもあるのです。そして、カールは自ら、忙しいスケジュールの合間を縫って、リンダさんに会いに来てくれました。
 カールは身長が190cmを超えるノッポなのですが、細身で穏やかな表情と、少しハスキーな声でゆっくり話すせいか、全く威圧感がありません。親切で人懐こく、誰にでも必ずひとこと褒め言葉や感謝の言葉をわすれない人で、また、その知識の深さは底知れず、ナースやほかの医師たちからも絶大な信頼を受けています。何よりも、彼はホスピスケアにこの上ない情熱を持っており、いつでも患者さんのために、私たち、ホスピスナースの力になってくれるのです。
 私は、あらかじめリンダさんとご主人に、その日はカールも一緒に訪問することを伝えておいたので、ドアのベルを押した後、なんとなく、私は家庭訪問で先生を自分の家に案内する小学生のような、そして、ご主人は先生を待ち受ける親のような、ちょっとあらたまった感じになっていました。しかし、カールはとても素直にリンダさん達のかわいらしい家をチャーミングだと褒め、すぐにご主人と打ち解けると、リンダさんがいる寝室へ案内されていきました。
 まだベッドにいたリンダさんは、それでも体を起こしてカールを待っていました。どんな患者さんでも、やはりお医者さんに会う時は少し緊張し、よそ行き顔になるのですが、ざっくばらんで、優しいカールと話すうちに、リンダさんも本音をもらしはじめました。今までは何とか乗り越えて来たけれど、今はもう、とにかく痛みから解放されて、残された時間を家族と楽しみたいこと、モルヒネは効くけれど、それでも、いつまた痛みの波がやってくるかと思うと、不安になること、PEGチューブからの漏れが心配で何を飲んでよいのかわからないことなどを話し、カールはそれをうなずきながら聞いていました。それから、リンダさんのPEGチューブ確認し、フィスチュラやストーマもチェックしました。そして、私にフェンタニールとモルヒネの用量と頻度を確認すると、「モルヒネが必要な頻度を考えると、フェンタニールの用量はこのままで様子を見てよさそうですね。でも、不安を軽減してリラックスできるよう、ロラゼパムを屯用ではなく、一日3回、定期的に飲んでみましょうか。眠くなるようだったら、昼間は少なめの用量で様子を見てもいいし。それから、WOCNも来てくれると聞いてるから、彼女とよく相談してチューブの周囲のケアをもっと工夫しましょう。Nobukoが言ったようにストーマ用のパウチを装着するというのはすごくいいアイデアだと思いますね。それに、飲みたいものは何を飲んだってかまわないですよ。そういえば、今日は春分の日だから、リタズ(イタリアンウォーターアイスのお店)が無料なの知ってましたか?リタズはお好きですか?僕はリタズのピナコラーダが大好きなんですよ」と言いました。すると、リンダさんの顔がパッとかがやき、「リタズは私も大好きですよ。私はスイカが好きなの。ピナコラーダは知らないけど」と言うと、ご主人が「彼女はお酒は一切飲まないんですよ」と言い、リンダさんが、「一度さんざんな目にあってから、30年以上飲んでないわ」と言いました。私が、「えー、何があったんですか?」と訊くと、ちょうど来た娘さんも「そうそう、あの話、してよ」と言いました。リンダさんはご主人の方を見て微笑み、ご主人がニコニコしながら、「実はね」と言って、二人が結婚してまだ日も浅かった頃のことを話してくれました。
 「その日は二人で地元の小さな劇場に、ブルーグラスのバンドのコンサートを聴きに行く予定だったんだよ。それで、コンサートの前に食事をしておこうと、近くのレストラン・バーに入ったんだ。でも、結構混んでたから、席があくまでバーでいっぱい飲みながら待つことにしてね、僕はビールを飲んだんだけどね、彼女はマンハッタンにしたのさ。」「ビールはおなかがふくれて好きじゃないの。」リンダさんが合いの手を入れました。「そうそう、彼女はマンハッタンがお気に入りでね。そこまでは良かったんだ。で、やっとテーブルが空いて、オーダーしたのは良かったんだけど、なかなか食事が来なくてね。仕方ないから、二人ともワインを飲みながら待ってたんだ。」「それで、やっと食事が来たと思ったら、それが本当にまずかったのよ。べつにしゃれたレストランでもないし、そんな期待してたわけじゃないけど、それにしてもひどかったの。きっとね、そのせいもあったと思うんだけど、だんだん気分が悪くなってきてね、トイレに行こうとしたら、目が回って立てないのよ。そしたらだんだん気が遠くなってきてね、彼に“病院に連れて行って”って言ったのよ。」「もう、それから大変でさ、何がなんだか訳が分からなくなっている彼女を何とか車に乗せて、ERに行ってね。いやあ、全く、とんでもないデートになっちゃったよ。」結局リンダさんは急性アルコール中毒で、点滴をして家に帰ったのですが、それ以来彼女はアルコールを一切口にしなくなったのだそうです。
 カールと私は懐かしそうに話す二人を見ながら、なんとかリンダさんが残された日々を痛みに悩まされずに過ごせるようにしたいと思っていました。カールはリンダさんに「痛みは何とかしてコントロールしましょう。僕の信頼するナースのNobukoが看てくれるから安心だけど、僕もいつでも力になりますよ。そして、ぜひご家族と素敵な時間を過ごしてください。リタズのスイカもいいけど、ピナコラーダもお勧めですよ」と言い、大きな両手でリンダさんの手を包みました。リンダさんはカールを見上げると、「先生、どうもありがとうございます。少し安心しました。彼女はとても素晴らしいナースですよ。今日はわざわざ来てくださって、ありがとうございました」と言いました。それから、「今日は娘にリタズに行ってもらいましょう。スイカとピナコラーダをもらってきてもらいますよ」と言って、にっこりしました。幸せのピナコラーダ(3)に続く。
 
[2019/05/16 05:18] | 忘れられない人々 | トラックバック(0) | コメント(2)
幸せのピナコラーダ (1)
 リンダさん(仮)は、60代半ばで、ご主人と二人、かわいらしい平屋建てのお家に住んでいました。4年近く前に卵管にがんが見つかり、広汎子宮全摘出(子宮、卵巣、卵管、リンパ節などを切除)したあと、化学療法を半年ほど受けました。その後約半年は癌細胞はおとなしくしていたのですが、再び腹腔と骨盤内に転移が見つかり、化学療法の後、経口での化学療法を続けました。しかし、化学療法の副作用で小腸や大腸に閉塞が起こり、ストーマ(人工肛門)をつけることになりました。同時に腹腔からお臍にフィスチュラ(瘻孔)と言われる穴が開いてしまい、そこから漏れてくる腹腔液を受け取るためのオストミーバッグ(ストーマパウチ)を装着しなければならなくなりました。さらに、口から何を食べても吐いてしまうようになってしまい、右上腕に入れたPICCライン(末梢挿入中心静脈カテーテル)から、TPNという中心静脈栄養を入れることになりました。それだけでなく、消化液やガスの貯留による消化管の痛みを除くため、PEGチューブ(腹部から胃に直接入れるチューブ、胃ろう)を入れて、そこから余分な貯留液をチューブにつなげたバッグに流しださなければなりませんでした。こうして、何か起こるたびに体に穴が開いたりチューブが入ったりしながらも、リンダさんは自宅で訪問看護を受けつつ、家族に支えられて過ごしてきました。
 ところが、3週間ほど前に、今度は呼吸困難で入院し、胸腔に癌性の胸水が溜まっていることがわかりました。その時点で、腫瘍医はそれ以上の治療を勧めず、本人もそれを望みませんでした。パリアティブケアチームとも話をしたのですが、TPNは続けたいと言う事で、胸水を抜き、新たに酸素カニューレ(鼻腔から酸素を流すチューブ)が加わりながら、再びホームケアを受けると言う事で自宅に戻ったのです。しかし、自宅に戻ってすぐにPEGチューブ挿入部から漏れが見られ始め、WOCN(皮膚、排泄ケア認定看護師)が訪問していろいろと工夫したのですがなかなかうまくいきませんでした。その上、2週間の間に二度もチューブが自然に抜けてしまい、その都度救急外来(ER)に行って入れ直さなければなりませんでした。そして、2度目に入れ直したERの医師に「次に同じことが起きたら、IR(Interventional Radiology インターベンショナルラディオロジー:画像下治療放射線科)に行って入れてもらった方がいい。もしかしたら中から押し出されているのかもしれない」と言われ、リンダさんは「もういい、もう十分だ」と思い、TPNを中止、ホスピスケアを受けることにしたのです。
 初回訪問の日、酸素カニューレをつけながらリビングルームのリクライニングチェアに座ったリンダさんは、疲れ果てていました。近所に住む娘さんがお手伝いに来ており、ナースの訪問に慣れている明るいご主人と一緒に、ホスピスケアについての説明を聞いていました。その間にも、リンダさんは時々、「ああ、痛い、痛い」と声をあげ、波のようにやってくる痛みに苛まれていました。私は、「痛み止めは飲みましたか?」と訊くと、ご主人が「昨日フェンタニールのパッチの用量を増やしたばっかりでね。今朝、屯用のモルヒネも飲んだんだけどね。あまり効かないみたいなんだよ」と困った顔で言いました。私は「モルヒネは何時に飲みましたか?」と訊くと、3時間半くらい前とのことでした。オーダーは4時間毎でしたが、私は「それじゃ、今あげてください。パッチはフルの効果がみられるのに12時間から24時間かかるので、それまではモルヒネも4時間ごとに必要かもしれないです。30分くらい早くたって、問題ないです。痛いのなら、今飲んで大丈夫です」と言うと、娘さんが我が意を得たり、という表情で「そうよ、お父さん、痛いんだから、薬あげましょう」と言いました。ご主人はリンダさんを見ると、「薬、飲むか?」と訊き、リンダさんが頷くと「わかった」と言って薬を取りにキッチンに行きました。私はもう一度リンダさんに「痛いと言う事は、薬の量が不十分なせいなのだから、少し早めに飲んでも、心配することないですよ。とにかく、痛みが無くなるように、必要で十分な用量を見つけましょう。とにかくそれが第一の目標ですね」と言うと、リンダさんは私の目を見て、「そうね。痛みが無くなったら、どんなにいいかしら」と言いました。すると、娘さんが、「問題は、モルヒネを飲んだ後、しばらくPEGチューブをクランプして流れ出ないようにしなきゃならない事なの。そうすると、やっぱりおなかが張って苦しいらしく、そう思うとモルヒネの錠剤を飲むのに躊躇しちゃうみたいなの」と言いました。私は、「だったら液体に変えましょう。できるだけ濃度を濃くすれば、少量を舌下するだけでいいので、PEGチューブをクランプする必要もないですから」と言うと、娘さんは「それが良いわ。なんでもっと早くそのことに気づかなかったのかしら」と言いました。私は、リンダさん達に「ホスピスケアだと、こんな時にすぐに医師にオーダーをもらえるし、モルヒネなどの麻薬だってすぐに手に入れることができます。夜中に急変しても、救急車の代わりにホスピスに電話して、ERに行く代わりに冷蔵庫に常備しておく緊急時の薬(コンフォートキット)の中の薬を使って症状をコントロールすることができるんです。もしもナースが実際にアセスメントしたり処置しなくてはならなければ、もちろん何時だって訪問します」と言ってから、リンダさん自身のゴールは何なのか、尋ねました。リンダさんは、はっきりと、「もう病院には行きたくないの。とにかく、この痛みが無くなってほしい。楽になって、少しでも家族と楽しい時間を過ごせたらいいの」と言いました。私は、「わかりました。それがまさにホスピスのゴールです。もちろん、途中で気が変わって病院に行きたいと思ったら、その時にホスピスは中止できますし、そのあとにやっぱりホスピスがいいと思いなおしたら、いつだってホスピスケアを受けなおすことができます。とにかく、リンダさんが楽になるようにしましょう」と言いました。リンダさんはご主人と娘さんの方を見て、「今の聞いた?私はこのヤングレディーを信じてみようと思うけど、どうかしら?」と言いました。娘さんは、「もちろんよ、お母さん。ホスピスは素晴らしいって、良く聞くし、私は賛成よ」と言い、ご主人も「君がそうしたいなら、それが一番だ」と言いました。リンダさんは私を見ると、「そういう事だわ。よろしくお願いします」と言い、自ら同意書にサインをしました。私は、「そんなにヤングでもありませんが、うちのチームは素晴らしいスタッフが揃っているので、とにかく、何かあったらいつでもホスピスに電話してくださいね」と言ってから、早速アセスメントを始めました。
 リンダさんの痛みは、右肩から背中にかけてと、腹部全体の癌性疼痛、そして、PEGチューブの漏れによる刺激痛でした。私はとりあえずホスピスメディカルディレクターのカールに電話をして、液体モルヒネのオーダーをもらいました。リンダさんの状態を説明すると、カールはすぐに液体モルヒネの頻度を1時間毎の屯用にし、抗不安剤のロラゼパムも4時間毎の屯用という口頭指示をくれました。それから、うちのホスピスが使っている全国ネットのホスピス専門薬局は、即日配送はできないため、今日中に液体モルヒネを地元の薬局で受け取れるよう手配をしました。通常、麻薬などの規制薬物は実際に処方箋を持っていないと、薬局では処方することができないのですが、ホスピス患者の場合はFAXや電子処方箋でもオーダーを受けることができるのです。ですから、普通なら患者さんや家族が医師のオフィスまで処方箋を取りに行って、それを薬局に持っていき、処方されるのを待つ、という手順を、ホスピスの場合はすっ飛ばすことができるのです。ただ、どの薬局でも液体モルヒネなどの麻薬を常備しているとは限らないため、家族が地元の薬局を何件も廻らないで済むように、あらかじめストックがある事を確認した薬局にオーダーするようにするのも、ホスピスナースの役割なのです。幸い近くの薬局が高濃度の液体モルヒネをストックしてあり、ご主人が取りに行くことにしました。私はリンダさんとご主人、娘さんに、「痛みがあるようでしたら、1時間ごとに飲んでも構いません。ただ、いつ飲んだかは記録しておいてくださいね。私は明日また来ますから、その時にどれだけ薬を使って、どれだけ楽になったのかを確認します。それまでにフェンタニールのパッチもフルの効果になっているはずですし」と説明しました。それから、PEGチューブを確認し、リンダさんに少し水を飲んでもらいました。すると、チューブ内だけでなく、その周囲からもみるみる水が流れ出てきました。消化液を含むそれが皮膚を刺激するため、ストーマケアに使う保護クリームを塗り、ガーゼで漏れを吸い取ってはいましたが、それでもピリピリとした痛みは避けられませんでした。私はリンダさんに、できるだけゆっくりと、少量ずつ飲むことで漏れを最小限に抑えるよう説明し、こまめにガーゼを取り換えるよう娘さんに指導しました。とにかく、その日にできることは全て行い、問題があればいつでも電話をするようにと言って、ホスピスの電話番号がプリントされた紙を冷蔵庫に貼りました。リンダさんは、薬が効いてきたのと、ホスピスというセイフティーネットができたという安心からか、少しだけ笑顔を見せる余裕が出てきました。そして、「今夜はよく眠れるといいんだけどね」と言ってから、「ちょっと楽になったわ。本当にどうもありがとう」と言いました。幸せのピナコラーダ(2)に続く。
 
[2019/04/30 05:35] | 忘れられない人々 | トラックバック(0) | コメント(0)
縁の下の力持ち~ホスピスボランティア
 約一年前、不思議なご縁で、日本の在宅ホスピスのパイオニアのお一人であるお医者さんのクリニックを訪れる機会に恵まれました。私は結婚する前に、イイカゲンな移民局のおかげで4日の予定が半年近く日本に足止めを食い、結婚式の予定を1年ほど延期する羽目になったのですが、その時実家に居候しながら近所の訪問看護ステーションでアルバイトをしたことがありました。90年代後半のことで、訪問看護ステーションというシステムができてから5年目位の頃です。常勤の看護師さんが4人と所長さんという小さなステーションで、パートタイムの看護師さんが産休に入ったため、私がバイトに入ることになったのです。ステーション所有の軽自動車での訪問や、かなりユルい感じの記録、そして訪問する先々でお茶を出されることに逆カルチャーショックを受けながらも、とても楽しく働かせてもらいました。そして、それが私の唯一の日本の在宅ケアの経験だったので、昨年、そのお医者さんのクリニックにお邪魔した時は、またまた新たなカルチャーショックを受けたのです。
 そのクリニックは20年以上地域に根付いた医療とケアを提供してきており、在宅での看取り、つまり在宅ホスピスの先駆けとしても地域住民に信頼されてきました。そしてその活動領域の対象は、地域の高齢者にとどまらず、重度障碍児のサポートや、海外の発展途上国における医療、看護の向上のための支援活動までと幅広く、そのお医者さんを筆頭に、スタッフの皆さんは生き生きとエネルギッシュに仕事をされていました。勉強不足の私はそんな桁外れに素晴らしいクリニックに呼んでいただいていたとはつゆ知らず、アメリカのホスピスやエンドオブライフケアについて、要するに自分の日々の仕事の話をさせてもらい、ありがたいことに、沢山の人に興味を持って聞いてもらったのです。そして、話が終わり、それぞれが職場に戻られた後、数人の女性が自己紹介をしながら話しかけてきてくれました。
 その人たちはクリニックのボランティアの方々でした。主にホスピスの患者さんやご家族のためのボランティアをされていて、その活動内容をいろいろと教えてくれました。そして、アメリカのホスピスはその活動(直接、または間接的患者ケアおよび事務)全体の5%を、ボランティアによって補われなければならないという規定がある事を話すと、とても関心を示されていました。そして、何よりも大きな違いは、そのクリニック(おそらく日本ではそれが一般的)では、ボランティアのコーディネーターもボランティアの一人であるのに対し、アメリカのホスピスでは職員である、と言う事でした。ボランティアのスタッフは、もちろんアメリカでも完全無償です。しかし、特にホスピスのボランティアは直接患者さんや家族と接する機会もあるため、しっかりとしたトレーニングが必要です。そうしたトレーニングのプログラムを作り、実際にトレーニングを行い、様々なボランティアによる仕事をコーディネートし、外部の団体や施設とも交渉や交流し、ファンドレイジングを行い、もちろんナースやソーシャルワーカー、チャプレンやメディカルディレクターなどのチームメンバーともコミュニケーションをとり、チームミーティングにも出席します。さらに、ボランティアコーディネーターはボランティアの責任者として、スタッフの継続教育やフォローも行います。年に一度あるボランティア感謝週間では、コーディネーターが指揮を執って、ホスピスのチームメンバーやマネージャー、メディカルディレクターの協力のもと、ボランティアスタッフを招待してランチパーティーを行い、ラッフルなどでギフトを贈ります。また、ボランティアコーディネーターは、遺族に対するビリーブメントサービスにも大きくかかわっています。とにかく、ボランティアコーディネーターはフルタイムの仕事なのです。そして、そのクリニックのボランティアの方々も、実に様々な活動をされていました。
 中でも、特に印象深かったのは、ホスピスの患者さんと家族同士が集まるお茶会を定期的に催されていると言う事でした。こちらでは、在宅ホスピスの患者さん同士が集まったり、現在進行形の家族同士が交流することは、まずありません。物理的に難しいのもありますが、ほかの在宅ホスピスでもそうした交流をしているというのは聞いたことがありません。しかし、考えてみると、状況は違っても自分と同じようにホスピスケアを受けている人と会って、話をするというのは、人によっては励みになったり、不安が軽くなったりすることもあるのかもしれません。特に介護をしている家族にとって、お互いに工夫していることの情報交換したり、介護者にしかわからない気持ちをシェアできることは、医療者に対するのとはまた違った安心感を与えてくれるのかもしれません。ボランティアスタッフの中には(こちらでもそうですが)、家族を在宅ホスピスで看取られた方も多く、自らの経験をサポートの中で生かすことができたら、と思って参加されるようです。
 ボランティアの仕方は、それぞれ様々です。私が勤めるホスピスでは約150人ほどのボランティアのメンバーがいて、その中でも実際に患者さんを訪問する人、患者さんにプレゼントするひざ掛けを編む人、小児用のキルトやブランケットを作る人、レガシープログラム(患者さんの思い出を様々な形にする)の作品を作る人、ホスピス病棟でクッキーを焼く人、初回訪問時に患者さんに渡すアドミッションパッケージ(同意書その他の書類、パンフレットなどが入ったフォルダー)を作る人、また、中にはペットセラピーができる人などなど、その人ができることをできる時に行っていますが、その恩恵は多大で、まさにボランティアなしではホスピスは成り立たないのです。
 私が今のホスピスで働き始めた時の初代ボランティアコーディネーターだったジャッキーは、引退した学校の先生で、小学校の校長先生まで務めた人でした。彼女は当時70代とは思えぬバイタリティーの持ち主で、ボランティアコーディネーターをしながら、念願だった子供のためのビリーブメントプログラムを立ち上げました。主に一親等(親、兄弟姉妹)を亡くした4歳から18歳の子供たちを対象に、ソーシャルワーカー、カウンセラー、アートセラピスト、ミュージックセラピストなどの専門家と、トレーニングを受けたボランティアによる、年齢別のグループ毎に、様々なアプローチで子供たちの心を癒し、喪失による深い悲しみを健全な形で乗り越えられるようサポートするプログラムで、19年目を迎えた今も、数少ない子供専門ビリーブメントプログラムとして地域に貢献しています。参加費は無料で、私たちのホスピスの母体である病院のプログラムの一つではありますが、基本的に50人を超えるボランティアと寄付金によって、その活動を続けることができているのです。
 しかし、いくらできる事をできる時にできるだけ、と言っても、やはり、自分の貴重な時間を誰か(何か)のために無償でささげるというのは、覚悟のいることです。それでも、キリスト教というバックグラウンドが大きいせいか、アメリカでは、チャリティーやボランティア活動というものが自然に受け入れられています。アメリカの病院の受付や案内デスク、売店などでは、たいていピンク色の上っ張りを着た老婦人や老紳士が働いているのですが、皆さん、ボランティアです。私の義母も地元の病院で10年以上ボランティアをやっていました。NHPCO(National Hospice and Palliative Care Organization)が、トレーニングを受けたアメリカのホスピスボランティアが1年間でホスピスに貢献する価値を値段に換算した最近の報告では、なんと、約4億7千万ドル(約470億円)にもなるそうです。時給にすると、約$25(2500円くらい?)だそうです。
 ボランティアをされる方々は、それぞれいろいろな理由があると思いますが、時々患者さんの訪問時に偶然会ったり、たまにホスピス病棟に寄った時に会う人は、みんなとても生き生きとしてしています。自分の時間を、お金ではない別の価値のあるものに使っている喜びというか、満足感のようなものが、オーラのように漂っているのです。こうした縁の下の力持ちに支えられているからこそ、私たちスタッフの仕事がスムーズにいき、患者さんや家族が恩恵を受け、ホスピスとしてのサービスを充実させることができるのです。
  先週は全国ボランティア週間でした。私たちのホスピスでも、2代目ボランティアコーディネーターのナンシーが中心になり、ボランティアスタッフをランチに招き、ほかのチームメンバーたちの寄付で作ったギフトバスケットをプレゼントしました。皆さんとても喜ばれたとのことで、いつものようにナンシーからスタッフにお礼のメールが届きました。感謝に感謝されて、お互いのこういう気持ちが良いチームを作っていくのだろうな、と改めて実感し、そして、そんなチームの一員として働けることの幸せを思うと、日々の仕事のイライラやストレスも、ま、いっか、と思えたのでした。ボランティア、万歳!
[2019/04/16 05:23] | ホスピスナース | トラックバック(0) | コメント(2)
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プロフィール

Author:ラプレツィオーサ伸子
アメリカ東海岸で在宅ホスピスナースをしています。アメリカ人の夫、子供3人、犬一匹と日々奮闘中。

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