FC2ブログ
ホスピスナースは今日も行く
アメリカ在住日本人ナースが、ホスピスで出会った普通の人々の素敵な人生をおすそわけします。
陽だまり (2)
 翌日のブラックフライデーに、今度はMSWのキンバリーと一緒に再びコリンを訪問しました。訪問時間は電話でアリソンに確認していたのですが、ドアベルを鳴らしてだいぶたってからドアを開けてくれたのは、アリソンのお母さんでした。お母さんはまるで仔馬のようなグレートデンのジュピターを必死で引っ張りながら、「どうぞ入って」と私たち二人を迎えてくれました。アリソンはメイン州から来た彼女のお父さんと買い物に行っており、もうすぐ戻ってくると言う事でした。私たちは自己紹介をしてから、ソファーに座る場所を作り、しばらくお母さんと話をしていました。お母さんはアリソンのことを心配しつつも、夫の急逝から立ち直っておらず、暗にアリソンをサポートすることは精神的に無理であることを繰り返しほのめかしていました。キンバリーは、アリソンも我々も十分お母さんの状況を理解し、承知していることを伝え、ホスピスチームがアリソンをサポートするので、お母さんは自分の喪失と悲嘆に向き合うことが最優先である事を強調しました。さらに、彼女にとっては孫の喪失と、我が娘がその息子を失うという、二重の痛みであることもわかっていると、敢えて言葉にしました。するとお母さんは、ポロポロと涙をこぼしながら「本当に情けないけど、どうしようもないの。あの子が一番大変な時にそばにいて支えてあげられないなんて、なんて母親だろうって思うけど、私には何もできないの」と言いました。
 ちょうどその時、外の冷たい空気と一緒に、コリンの入ったベビーシートを提げたアリソンが、髭面の背の高い男性と一緒に帰ってきました。お母さんはさっと涙を拭き、鼻をかむと、二人に向かって「ハーイ」と言いました。横にいた私は、そっと彼女の肩をたたくと、彼女は小さな声で「ありがとう」と言いました。アリソンはコリンを覆っていた毛布を取りながら、「ごめんね、待たせちゃった?」と言ってから、「これ、私の父」と、その男性を紹介しました。“あんまりいい父親じゃなかった”とアリソンが表現していたお父さんは、見た目はバイカーのような雰囲気の、どっしりと落ち着いた人でした。私たちが自己紹介をすると、「いろいろと世話になります。自分は今夜メインに戻るけど、また来るし、何かできることがあれば遠慮なく電話してくれていいから」と言って、携帯番号をくれました。アリソンは前日とはまるで別人のようにリラックスしており、相変わらず早口ではありましたが、両親の前ではどこか娘に戻ったような、安心したような、柔らかな表情をしていました。コリンはたびたびてんかん発作を起こしていましたが、昨日から使い始めたロラゼパムが良く効き、それまでのように発作後泣き叫ぶことはなくなっていました。もともと発作にはロラゼパムを使っていたらしいのですが、液体ロラゼパムは添加剤の中にコリンの症状を悪化させる砂糖が含まれているため、やはり抗てんかん薬のダイアゼパムの座薬を使うようになったのでした。しかし、ダイアゼパムの効果は薄れてきており、だったらロラゼパムの錠剤を粉砕して水に混ぜてGチューブから投与すればよいのでは、と、試してみたのが功を奏したのでした。
 その日、キンバリーがコリンのお葬式のことを尋ねると、アリソンはすでに考え始めており、キンバリーに、できればポーランド系のカトリック教会の近くの葬儀社を使いたいと言いました。ニュージャージーに住んでいたアリソンはこの辺りの教会をよく知らず、キンバリーは葬儀も埋葬もペンシルベニアで行うというアリソンの意向を確認してから、「葬儀社によっては子供、特に赤ちゃんの場合特別な計らいをしてくれるところもあるから、それも含めてうちのチャプレンにポーランド系の教会に問い合わせてもらうわ」と言い、「それにもし良ければ、チャプレンに来てもらって、話をしてみたらどう?」と尋ねると、アリソンは躊躇することなく「そうね、それがいいわ」と言いました。コリンは私たちが話している間すやすや眠り続け、Gチューブから入れるミルクも問題なく消化し、全身の筋緊張が緩く自発的に体を動かさないことを除けば、まるで健康な赤ちゃんのように見えました。そこで、母親と祖父母と一緒にこの子のお葬式の話をしているという現実が、かえって非現実に思えるほどでした。
 翌週、約束の時間に訪問すると、60代くらいの女性がソファーに座り、アリソンと話していました。アリソンは、「ああ、前に話したほら、エージェンシーナースの人。今日は面接っていうか、顔合わせね」と言い、その女性に「コリンのホスピスナースのNobuko」と紹介してくれました。私たちがお互いに挨拶をしていると、隣の部屋からノアが出てきました。そして、何かひとこと言ったかと思うと、たちまちアリソンと言い合いになり、初日をほうふつとさせる怒鳴り合いが始まってしまいました。二人がやり合っている間、マーサというその女性はこっそりと、「コリンはターミナル(終末期)なの?」と訊いてきました。私は驚いて、「え?エージェンシーから聞いてないんですか?」と訊き返すと、マーサは「いいえ。今初めて」と言いました。すると、ノアとの怒鳴り合いの傍ら私たちの会話を小耳にはさんだアリソンが、「そうなの、いつもそれが問題だったの。みんなコリンがターミナルだって聞いてないから、びっくりして怖がっちゃうのよ」と言ったのです。私はあきれながら、「それはひどいわ」と言うと、マーサは「まあ、そんなものよ」と言いました。私はあらためてマーサに「今までホスピスの子供をケアしたことありますか?」と訊くと「ケア度の高い子はたくさん看て来たけど、ホスピスの子はいなかったわ」との答えでした。私は「大丈夫ですか?」と訊くと、マーサは落ち着いた口調で「そうね、大丈夫だけど、何か特別にしなきゃいけない事があるのかしら?」と言いました。私は少しほっとしながら、「いえ、特別なことは何もないです。何かあればホスピスに電話してください。何か指示が変わるときは、ホスピスのオフィスかCHOPから直接そちらのオフィスにファックスかメールで指示を送りますから。基本的に救急車は呼ばないで、ホスピスに電話してください。とにかく、ゴールはコリンが苦しまないようにすることですから」と言うと、マーサは「だったら問題ないわ」と言いました。私は、ゆっくりとした口調で話しちょっとしたことでは動じないマーサが、まさにこのケースにぴったりだと思い、彼女に決まってくれることを内心願っていました。アリソンとノアに対しても、ゆったりと構え、二人に向かってはっきりと、しかし決して高圧的な感じではなく「私はテンションが低い人間だから、私のペースでコリンのお世話をするけれど、30年以上ナースとしての経験があるから安心して任せてほしい」と言い、アリソンも「そう言ってくれる人が欲しかったのよ」と言って、詳しいスケジュールなどを説明し始めました。その間に私はコリンのアセスメントをし、薬の確認をしました。時々短いけいれんを起こしましたが、薬が必要なほどは続かず、あとはすやすやと眠っていました。アリソンは「ホスピスに来てもらってから、結構調子がいいの。前みたいに泣き叫ぶこともなくなって」と言い、それから「そうそう、今週末に引っ越すことにしたの。ここは狭いし、CHOPに行くのも遠いから。今住所は手元にないけど、行くところは決まってるから、わかったら教えるわ」と言いました。私は、今、こういう状況の中で引っ越しを考えていたアリソンに驚きましたが、私たちの訪問範囲内の地域である事だけを確認し、「引っ越しはだれが手伝ってくれるの?」と訊くと、アリソンは「あ、それは大丈夫。なんとかなるから」と言い、キッチンからノアが「俺もいるし」と言いました。私とマーサは顔を見合わせ、眼だけで”おばさんには理解できないけど、ま、大丈夫でしょう”と頷き合いました。陽だまり(3)に続く。
スポンサーサイト
[2019/01/14 15:18] | 忘れられない人々 | トラックバック(0) | コメント(0)
陽だまり (1)
 11月の第4木曜日は、アメリカ人にとっては宗教に関係なく大切な祝日、サンクスギビング(感謝祭)です。家族が集まって、伝統的なターキー(七面鳥)のローストや、ヤム(水気の多いサツマイモの一種)、インゲン、クランベリーソースなどのディナーを囲み、デザートのアイスクリームを添えたパンプキンパイやアップルパイを食べながらフットボールの試合を見たりして過ごすのが、一般的なアメリカの家庭の様子です。翌日はブラックフライデーと言われる、クリスマスショッピングの幕開けとでもいうようなバーゲンセールが行われます。数年前までは深夜から開店時間を待って座り込んだり、開店と同時に店内に殺到する半狂乱になった人々が、けがをしたり死亡者が出たりしたため、最近はサンクスギビングの夕方からセールが始まるようになりました。
 そんなサンクスギビングですが、もちろんホスピスに休日はありません。今年は私が勤務する番でした。そして、その日のハイライトは生後14か月の赤ちゃんのアドミッション(初回訪問)でした。小児ケースのアドミッションの場合、MSW(メディカルソーシャルワーカー)と一緒に訪問し、また医療機器や薬などがすぐに手配できるよう、祝日は避けるのが通常なのですが、今回は母親の希望で一日でも早くホスピスケアを始めたいと言う事でした。しかし、依頼してきたフィラデルフィア小児病院(CHOP)のわれらがパートナーPACT (Pediatric Advanced Care Team)からは、すでに基本的な情報を得ていたので、祝日独りの小児アドミッションでも、それほど緊張はしていませんでした。
 晴天ながらも最高気温が氷点下2℃、1901年以来一番という寒いサンクスギビングの道は空いていて、すれ違うのは、それぞれの差し入れを持って、家族の集まるもとへと向かう人たちを乗せた車ばかりのような気がしました。そして、そんな日に敢えてホスピスナースをリクエストした若い母親の、切羽詰まった心情を思うと、これから足を踏み入れる誰かの人生との対面に、いつも以上に気が引き締まりました。アパートメントコンプレックスと言われる、どこにでもある集合型のアパートのドアのベルを鳴らすと、しばらくしてからドアが開き、同時にものすごい早口で怒鳴り散らすハスキーな声とともに、巨大なグレートデンが、今にも私の顔を舐めそうな勢いで出てきました。あっけにとられている私に一言「sorry(ごめん)」と言いながら、彼女は手招きし、今度は犬にも怒鳴りながら部屋の中に入りました。私はとりあえず自己紹介をしてから、状況を把握しようと部屋を見回しました。彼女が怒鳴っている相手は別の部屋にいるようで、ところどころ聞き取れる言葉から察すると、どうも赤ちゃんの父親のようでした。そして、ソファーが一つあるだけのがらんとした部屋の床にぽつんと置かれたベビーシートの中で、すやすやと眠る赤ちゃんを見つけました。それが、コリン(仮)でした。
 母親のアリソンは私を気にしながらもドアの向こうに向かって怒鳴り続け、私は「気にしないで、先に話をつけていいから」と言って、彼女を別の部屋に行かせました。しばらくの間、彼女のマシンガンのような罵りと、何とか彼女をなだめようとする相手のやり取りを聞きながら、月齢にしてはかなり小さいけれど、一見健康そうなコリンを眺めていました。コリンは生後6週間で、先天性のてんかんの中でも珍しい、大田原症候群という、進行性ミオクローヌスてんかんと診断されました。経口摂取ができないため、ボタン型の胃ろう(経管栄養を流すチューブとの接続部が腹部に密着したスナップのようになっているもの)を使っており、薬もすべて胃ろうから注入していました。アリソンは少し落ち着いたのか、別の部屋から戻り、彼のことは話題にもせずに「ごめんね」と言ってから本題に入りました。痩せて、左手にはエナジードリンクの入った大きなグラスを持ち、常に体の一部を動かしているアリソンは、ソファーの私と向き合って床に座り、傍らにラップトップを置くと、「準備オーケー」と言いました。私は、「彼はいいの?」と訊くと、「ああ、いいのいいの。関係ないから。どうせ何もしないんだもの。私がずっと一人でコリンを育てて来たんだし、今まで何一つ父親らしいことなんてしなかったくせに、ホスピスが来るからって急に父親面しようとしてるだけよ」と一気にまくしたてました。私は、「そう、じゃ、あなたが親権を持っているのね?」と確認すると、アリソンは「もちろんよ。コリンは私の息子だもの」と言いました。それから、コリンが発症してからのこと、医療事務のコーダー(医療記録を記号化=コード化する)として働きながら一人で育ててきたこと、隣のニュージャージー州で生まれ育ち、ペンシルベニアにはつい最近、CHOPに通いやすいように引っ越してきたこと、コリンのためにいろいろな治療を試して、一時はケトジェニックダイエット(ケトン体食餌療法)で目に見えて回復したのに、なぜか中止されてしまったこと、そのあとニュージャージーの病院ではらちが明かないためCHOPに行って、やっとケトジェニックダイエットを再開してもらえたけれど、すでに遅すぎたこと、ここ数ヶ月でてんかん発作の回数が目に見えて増えてきたことなどを、ところどころカースワード(FやSで始まる悪態をつく言葉)を交えながら、それでもきちんと筋道を立てて説明してくれました。仕事をしている間、誰がコリンをみているのかと聞くと、「仕事は家でしてる。週4日保険がカバーしてくれるプライベートナースに来てもらってるんだけど、それが問題なの。すぐにやめちゃったり、時間にルーズだったり、一番いて欲しい朝の忙しい時に来なかったり、何かあると隣の部屋で仕事してる私を呼んだり、とにかくなかなかいい人が見つからなくて。もちろんコリンは自分の息子だもの、私が世話するのはやぶさかじゃないけど、でも仕事しなきゃならないし、そのために来てもらってるんだから、あっちだって自分の仕事はするべきでしょ。実は来週、新しいエージェンシーの人をインタビューする予定なの。これで4社目。今度こそいい人だといいんだけどね」
 私は小児ホスピスの目的とサービスの内容を説明し、どうしてアリソンがこの時期にホスピスを選んだのかを尋ねました。すると、アリソンはこう答えました。「私も半年前だったらホスピスなんて考えもしなかった。誰だってそうでしょ?自分の子供にホスピスなんて、まるで諦めたみたいじゃない。でも、コリンのてんかんがどんどん酷くなって、薬もだんだん効かなくなって、苦しそうに泣き叫ぶのを見てたら、もしかしたら私がこの子を苦しめてるんじゃないかって、無理やり生かそうとしてるんじゃないかって思うようになってきたのよ。治らない、回復しない、あとはもう、てんかんが起こるたびに苦しむしかないのなら、病院に連れて行ったところでできることは決まってるじゃない。CHOPでコリンと同じような病気の子たちをたくさん見たわ。みんな、コリンみたいに強くなかった。針やチューブやマスクをつけて、モニターの音に囲まれて、結局死んでいった。私は自分の息子にあんなことしたくないの。少しでも苦しまないで、私のことを感じて、自分の家にいさせてあげたいの。ホスピスだったらそれができるって、PACTの人が言ってたから。私は望みを捨てたわけじゃない。でも、コリンに苦しい思いをさせるのは嫌なの。この子が泣き叫ぶのをもう見たくないの。」
 私は、「よくわかったわ。つまり、家でコリンを看取る事があなたのゴールなのね。ホスピスは、コリンとあなたができる限り平穏で、苦しまずにその時を迎えることができるよう、全力でサポートするから」と言い、それから、アリソンの家族、両親や兄弟姉妹について尋ねました。アリソンは最初、「ああ、そんなものいないいない」と言って済ませようとしたのですが、「兄弟は?」「お母さんは?」「お父さんは?」と少しずつ聞いていくうちに、年の離れた兄とは何年も話しておらず、両親は彼女が中学生の時に離婚、母親の再婚相手はいい人だったが、2か月前に突然癌で亡くなり、父親はメイン州にいてあまり交流はないし、もともとあまり良い父親ではなかった、母はニュージャージーにいて、夫の突然の死から立ち直っておらず、孫にホスピスケアなんて、到底受け入れられない状態である事などを話してくれました。コリンの父親であるノアとは結婚しておらず、コリンの状態が悪化してきたため、最近になってアリソンのアパートに寝泊まりすることを許したけれど、彼は夜勤の仕事をしており、昼間は寝ているし、何につけてもいい加減で信用できない。つまり、自分以外頼れる者はいないのだ、と言う事でした。アリソンは、自分自身、ADHD(注意欠陥、多動性障害)があり、バカなこともしてきたけれど、息子のためにはできることは何でもやったと自負している、と言い、私が「あなたは驚くべきお母さんだわ」と言うと、急に少女のような笑顔になって、「どうもありがとう」と言いました。
 それから、薬やミルクをチェックしていると、いつの間にかノアが出てきて、私は自己紹介とホスピスケアについてざっと説明しました。ノアはさっきの怒鳴り合いなどまるでなかったかのような様子で、父親としてコリンがホスピスケアを受けることを了承し、自分もできることは何でもやるつもりだ、と言いました。アリソンは何も言わず、コリンを抱き上げました。一見雑で無造作な抱き方でしたが、自分の息子を知り尽くしている、という自信に満ちた仕草に、この14か月の間にアリソンが経験してきた悲喜こもごもを垣間見たような気がしました。 陽だまり(2)に続く。
[2018/12/26 14:51] | 忘れられない人々 | トラックバック(0) | コメント(0)
音楽の力
 先日、14歳の娘と彼女の幼馴染と一緒に、映画「ボヘミアンラプソディー」を観てきました。イギリスのロックグループ、クイーンを描いたこの映画は、リードボーカルのフレディ・マーキュリーを中心にしたお話になっていて、クイーンのコアなファンにとっては時系列など気になるところはあったかもしれませんが、とにかく音楽シーンは圧巻でした。エンドロールも最後までしっかり見届け、帰りは三人でまるでコンサートに行ったかのような余韻に浸っていました。ピアノやギターを弾く娘は、「やっぱりバンドやりたいなー」「やるならドラムやりたいなー」「ベースもかっこいいなー」と妄想炸裂。ピアノでくじけた私は、やってやってー、とこちらも妄想に浸り、我が家はしばしクイーン熱に酔っていました。
 世の中には、それはもうたくさんの音楽の才能ある人たちがいて、私から見たら「この人は天才ではないか」と思うような人でも、プロとして音楽で食べていくのはとても大変のようです。それでも、音楽は人間の生活から切り離すことのできない、とても大切な要素です。そして、数ある音楽のプロフェッショナルの一つに、ミュージックセラピスト(音楽療法士)という職業があります。私たちのホスピスでは2-3年前から専任のミュージックセラピストと契約し、その素晴らしさは言葉では言い尽くせないほどです。
 私たちの素敵なミュージックセラピスト、ミシェルは主にギターと歌を演奏するのですが、ケースによってはいろいろな楽器を使います。特に小児の場合、打楽器やギターなど、一緒に音を鳴らしたり、年齢によっては一緒に曲を作ったりもします。彼女の演奏する曲のレパートリーは驚くほど幅広く、本人曰く、「ヨーデル以外ならなんでも」歌ってくれます。もちろん、セラピー(療法)ですから、ただリクエストにお応えするだけではありません。好きな音楽を聴きたいのなら、CDでもラジオでもユーチューブでもいいわけで、確かにそれだけでも楽しく、安らかな気分にしてくれます。しかし、ミシェルはその患者さんの状態や、ニーズを的確に見極め、感じ取り、より効果的な音楽的アプローチによって、心と身体のみならず、魂まで癒してくれるのです。人間の五感の中で、一番最後まで残るのは聴覚だと言われています。しかも、不思議なことに意識があった時は難聴だった人でも、それこそ今際の際になって聴こえたりすることもあるのです。
 ミュージックセラピーはアロマセラピー同様、痛みや不安、不穏の緩和にも効果があります。患者さんだけでなく、家族にとってもリラックスできる時間であり、その効果は絶大で、私は常々ホスピスケアにおけるミュージックセラピーは過小評価されているのではないか、と思っています。というのも、そもそも保険で支払われる報酬が減らされている中で、ミュージックセラピーやアロマセラピー、マッサージやヒーリングタッチなどは完全に”ラグジュアリー”なオプションとして位置しており、予算に余裕がなければ提供することはできません。私たちのホスピスでも、ミシェルが訪問できる時間数は決まっていて、依頼してもなかなか順番が回ってこないこともあるのです。そのため、ある小児ケースのお母さんは、私たちのホスピス、特に小児ケースのためにミュージックセラピーをもっと導入できるよう、ファンドレイジングを企画し、かなりの金額をミュージックセラピーのために寄付してくれたほどです。彼女はミュージックセラピーが、自分たちの娘だけでなく、家族全員に笑顔と笑い声と明るくて温かな心持を与えてくれたこと、失われていくことばかりの日々へ、輝く光が降ってきたように、ミュージックセラピーによって医療だけでは決して埋めきれない、人間に必要不可欠な希望が湧いてきたことを、力強い言葉でたくさんの人たちに伝えてくれました。ファンドレイジングでは、私も折り鶴イヤリングをいくつか作って提供し、わずかですが協力しました。
 ミュージックセラピーは、患者さんが亡くなった後のビリーブメント(グリーフケア)でも提供することがあります。つい先日、チームミーティングを始める前に、ビリーブメントコーディネーターが一曲の歌をかけました。それは、私が約一年間受け持ち、ほぼ1年前に亡くなった13歳の女の子の兄弟姉妹が、ミシェルと一緒に作って、子供たちだけで演奏したものでした。女3人男3人の6人兄妹の、彼女は3番目で、お母さんからのリクエストを受けて、ミシェルがセーフハーバー(私たちのホスピスの子供のためのビリーブメントプログラム)の活動の一環としておこなったのでした。ミシェルがまとめる形で子供たちが詩を書き、協力して曲を作り、ミュージックセラピストになりたいという一番上のお姉ちゃんがウクレレで伴奏し、5人で歌ったものをミシェルがミキシングしたのです。ビリーブメントコーディネーターは、少し聞き取りにくい歌詞をプリントして配ってくれ、それを目で追いながら子供たちの歌を聞いた私たちは、最後には涙を拭くためのティッシュの箱を回していました。私は6人の子供たちの顔を思い浮かべながら、一人欠けてしまった大きな穴を埋め合わそうとしている5人にとって、そして両親にとって、この歌が家族の新しい宝物になったと確信していました。「Mのうた/あなたの思い出」というこの歌は、妹であり、姉であった、世界でたった一人の特別な女の子に捧げる、子供たちから彼女への、そして子供たち自身への、世界でたった一つのかけがえのない贈り物です。この家族にとって「Mのうた/あなたの思い出」は、天国に行ってしまった彼女の代わりにみんなの傍にいて、哀しみを癒やしてくれる、本当のヒーリングソングになったと思います。音楽には、そんな、人を救い、希望を与え、傷を癒してくれる力があるのです。

Mのうた/あなたの思い出

1、2年前、ずっと知っている女の子がいた
一緒に木に登って いつも一緒におやつを食べた

1、2年前、ずっと知ってる女の子がいた
裸足で冒険し、いつも一緒にいてくれた

彼女は今 金色の道を歩いたり踊ったりしながら、大好きな木々を通り過ぎて行く
アイスクリームや猫や、彼女の大好きなものでいっぱいの、チョコレートでできた彼女の家に向かって
だから そう、彼女はとっても幸せ
でも 私はおいてけぼり

1、2年前、私の親友は何でも私と一緒にやってくれた
秘密や冒険、悪いことも一緒にやった
でも、1、2年前、計画は変えられてしまった 私たちはわかっていた
彼女は病気になった 彼女はいかなければならなかった
私たちの心の中にはいられても、このお家にはいられない

でも彼女は去っていく前に 本当にたくさんのことを教えてくれた
どんなことにも恐れないこと、面白くいられること、勇気、そして思いやり

彼女は今 金色の道を歩いたり踊ったりしながら、大好きな木々を通り過ぎて行く
アイスクリームや猫や、彼女の大好きなものでいっぱいの、チョコレートでできた彼女の家に向かって
だから そう、彼女はとっても幸せ
でも 私はおいてけぼり

これからずっと先になって、古い写真を見た時に
彼女と同じくらい勇気を持って、危険にだって笑って立ち向かえるようになっていたい
いつの日か 私たちは彼女に会って抱き合ってお祝いをする

でもその時が来るまで 私たちは待たなくちゃ
それまでは あなたの思い出を抱きしめていく
あなたの思い出を

(筆者訳)
[2018/12/15 05:31] | つぶやき | トラックバック(0) | コメント(0)
最後のサヨウナラ (3)
 翌日の火曜日、チームミーティングが終わり、その日報告したケースのIDG(Inter Disciplinary Group :多職種連携グループ)の記録をそれぞれのチャートに打ち込んでから、階下のホスピス病棟に寄りました。受付で部屋番号を聞こうとしていると、病棟MSWのアリーが私を見つけて、「こっちこっち」と手招きしました。そして、「リーアムさんでしょ?」と言い、私が答える間もなく「奥さんがあなたのこと絶賛してるわよー」と言いながら彼の部屋を教えてくれました。私は内心、「そっか、やっぱりみんな、奥さんだと思うよな...」と思いながらリーアムさんの部屋の半分開いているドアをノックすると、何やら引き出しの中を整頓していたアリスさんが振り向き、「まあ、誰かと思ったら、私の天使だわ!」と言いながら駆け寄ってきました。アリスさんは私にハグをすると、「ほら見て、誰が来たと思う?」と、ベッドのリーアムさんに言いました。「こんにちは、リーアムさん」と言いながら部屋に入ると、少し眠そうなリーアムさんが表情を変えずに「やあ」と言いました。私は「ありゃりゃ、ご機嫌斜めかしら」と思いつつ、「どうですか、居心地は?」と尋ねると、リーアムさんは一言、「良くもないけど悪くもない」と言いました。アリスさんが苦笑しながら、「皆さんとても親切で素晴らしいわよ。彼も昨夜はよく眠れたらしいし」と言うと、リーアムさんは「まるで赤ん坊扱いだ。トイレには一人で行くなだとか、俺はそんなに老いぼれじゃない」と言いました。私は、「ああ、きっと転倒を心配してるんでしょうね。別に、リーアムさんを信用していないとかそういうことではなくて、万が一と言う事なんですよ。確かに子ども扱いみたいでいやかもしれないですけど、もしもここで転んだら、せっかくのバケーションも台無しですからね。でも、ベルを押せば、すぐに誰かが来てくれるんじゃないですか?」と言うと、リーアムさんは「そんなことはわかってるさ」とぼそりと言いました。私は、「五泊だけですから。その間にアリスさんも元気をつけて、チャージし直したところでお家に戻れますよ」と言うと、アリスさんも「そうよ。私も毎日来るから」と言い、リーアムさんは私たち二人をじっと見たまま、「わかってる」とだけ言いました。口よりもものを言うリーアムさんの眼差しは、チクリと胸を刺しましたが、それ以上何を言っても上滑りするだけのような気がして、私は彼の目をしっかりと見つめ返しながら、「それじゃ、今度はあのお家でお会いしましょう」と言うと、リーアムさんは「ありがとう」と言って手を振りました。アリスさんは私と一緒に廊下に出ると、「やっぱり怒ってるのかしらね。それでも、ここに来てよかったわ。本当にありがとう。皆さんとっても親切だし、あの背の高い素敵な先生にもお会いしたわよ」と一気に言ってから私の手を取り、「本当にね、助かったのよ」と言いました。私は「リーアムさんは怒ってないと思います。もし怒っているのだとしても、それはアリスさんに対してじゃなくて、多分、病気や、病気になってしまった自分の体に対してなんじゃないでしょうか」と言うと、アリスさんは「そうね、そうかもしれないわね。彼は、本当に良い人なのに、あんなひどい病気になるなんて」と言ってから、「寄ってくれてどうもありがとう」と言ってもう一度ハグをしました。
 リーアムさんは小康状態を保ったまま5泊のレスピットを終え、すっかり元気を取り戻したアリスさんに迎えられて、無事自宅に戻りました。しかし、以前のように車いすに乗ってリビングルームに来ることはなくなり、ほとんどをベッドで過ごすようになりました。潰瘍の影響で右目が開けにくくなり、以前は好きだった読書もできなくなって、テレビを見ないリーアムさんは時々ラジオを聞くくらいで、あとは眠ったり、ぼんやりと過ごすことが多くなっていきました。私は音楽療法はどうかと思ったのですが、「音楽は聞かない」とあっさり言われ、だったらオーディオブックはどうかと提案しました。アリスさんはさっそくリーアムさんの好きな作家のオーディオブックを、地元の図書館からいくつか借りてきて、しばらくは楽しんでいましたが、それもだんだん興味がなくなっていきました。食欲もなくなり、柔らかいものを一口か二口、あとは水を飲むくらいで、エンシュアなどのサプリメント飲料も飲まなくなりました。私は電動ベッドを入れること、ホームヘルスエイドの回数を増やすことをもう一度勧めると、今度はアリスさんもあっさりと賛成し、リーアムさんも「構わん」と同意し、すぐにオーダーすることになりました。ただ、問題はリーアムさんを今のベッドから移動させることと、電動ベッドに移った後に現在のベッドをどうするかでした。医療機器を運んでくれるドライバーは患者さんや患者さんの私物に触れることは許されておらず、もちろんアリスさん一人では無理でした。アリスさんは「もしかしたらご近所さんに力を貸してもらえるかもしれない」とは言うものの、今までそこに住んでいたわけでもない彼女が、そういうことを他人に頼むことがどんなに難しいかは、想像に難くはありませんでした。リーアムさんの寝室は今使っているクイーンサイズベッドの隣に、何とかシングルベッドを置けるだけのスペースはあり、とりあえずそこに設置だけしてもらい、そのあと私とエイドさんが同時に訪問するようスケジュールを調整し、私たち二人でリーアムさんを移動、そのあとクイーンサイズのベッドは部屋の隅に押して、電動ベッドの左右にスペースを作ることにしました。
 二日後、私が訪問するとアリスさんは「すべて準備は整っているわ。電動ベッドに新しいシーツも敷いたし」と、まるで新たな挑戦に自らを鼓舞するような勢いで言いました。家に電動ベッドを入れると言う事は、便利で安全、ケアもしやすくなる一方、“普通でないもの”、あるいは“健康な生活には関係なかったもの”が日常の生活圏に入ってくるわけで、多くの人にとって重大な意味を持ちます。いったん入れてしまうとその便利さと快適さに「なんだ、もっと早く入れればよかった」という人が多いのですが、やはり長年なじんだ自分のベッド、あるいは夫婦が一緒に眠っていたベッドをあきらめるのは、気持ちとして大きなステップになるのです。その日のエイドは小柄なパットではなく、背が高く“気は優しくて力持ち”のシェリーで、心配していたリーアムさんの移動も全く問題なく、褥瘡予防のエアマットレスを敷いたベッドは快適で、リーアムさんも「思ったほど悪くない」と言って、アリスさんを安心させました。アセスメントを終え、ガーゼを交換し、薬や物品をチェックしてから、シェリーにバトンタッチし、「それじゃリーアムさん、あとはシェリーが体をきれいにして、気分をさっぱりさせてくれますから。月曜日にまた会いましょう」と言うと、リーアムさんはいつも通りの無表情で「俺はそうでないことを願うよ」と言いました。私は笑いながら彼の目を見て、「リーアムさんはそうかもしれないですけど、私はまたリーアムさんに会いたいですよ」と言うと、リーアムさんは一瞬顔を大きくゆがめて「そうかい」と言いました。それは、私が初めて見た、リーアムさんの笑顔でした。
 週が明け、リーアムさんの期待は裏切られ、彼はまた私の顔を見る羽目になりました。しかし、リーアムさんは日中眠っていることが多くなり、錠剤をのみこむのが難しくなってきました。食事はほとんどせず、ほんの少しの水やジュースを飲むだけでした。私はアリスさんに液体モルヒネをどのように舌下するのかを教え、最初は“モルヒネ”というだけで緊張していた彼女も、すぐにマスターし、「大丈夫、できるわ」と自信をもって投薬できるようになりました。飲んだり食べたりしたくなくなること、眠っている時間が増えること、呼吸のパターンが変わること、失禁すること、そこにないものや人を見たり、亡くなった人たちと話したり、自分の家なのに「家に帰る」と言ったりすることが、全てよくある「自然な過程」であり、それらが決して本人にとって不快なことではないと言う事を説明し、アリスさんは一つ一つ納得しながら、「こうやって聞いておけば、全然問題ないの。死そのものは怖くはないの。だって、その先に行く場所はわかっているんだもの。ただ、そこに行きつくまでにどんなことが起こるのか、それが怖いだけなの。でも、知ってさえいれば大丈夫。あとは、とにかく彼が苦しまない事だけが望みよ」と言いました。私は、「とにかく、何かわからないことや不安なことがあったら、いつでもホスピスに電話してください。些細なことだと思っても、答えを知れば不安は減ります。何でも自分でやろうとしなくていいんです」と言うと、アリスさんは「わかってるわ。ホスピスの番号はそこら中に書いてあるわよ。私の命綱だもの」と言って笑いました。
 リーアムさんの潰瘍は大きく深くなっていきましたが、幸い出血はなく、痛みも10mgの液体モルヒネを4-5時間毎に舌下することで十分コントロールされていました。ほとんどの時間を眠って過ごし、起きている間もとても穏やかで、アリスさんに対して怒ることもなくなりました。アリスさんもリーアムさんが眠っているときは本を読んだり音楽を聴いたりしてリラックスし、ベビーモニターを置くことでしょっちゅう部屋を覗くこともなくなりました。小さな家全体に、静かな、ゆったりとした空気が漂い、リーアムさんは一歩ずつ死に近づきながら、どんどん透明になっていくような、魂が澄んでいくような、そんな安らかさに包まれていきました。
 金曜日、私はアセスメントを終え、最後に「リーアムさん、気分はいいですか?快適ですか?」と訊くと、リーアムさんははっきりと「ああ、とっても快適だ。いい気分だよ」と言って、右手を差し出しました。私は、「そうですか、よかったです」と言いながら握手をし、「それじゃ、月曜日にまたお会いしましょう」と言うと、リーアムさんはいつものように「俺はそうでないことを祈ってるよ」と言いました。私は返事をする前にこっそり深呼吸をすると、鞄を肩にかけなおしながら、リーアムさんを見ました。リーアムさんはベッドの頭を少し上げ、穏やかな眼差しで私のほうをじっと見ていました。私は、「そうですね。もしお会いできなかったら、残念だし、寂しいです」と言いました。すると、リーアムさんは、「俺も会えなくて寂しいよ」と言い、それから「Good bye」と言いました。私も「Good bye」と言い、振り向かずに部屋を出ました。リビングではアリスさんが目を真っ赤にして待っていました。私たちの会話を聞いていたアリスさんは、「ね、どう思う?」と言いました。私は、「わかりません。バイタルサインはいつもと変わりませんが、一番よく知っているのはリーアムさんだと思います。だから、多分、いつ逝かれても私は驚かないです」と返事をしました。アリスさんは「そう、私もそう思うわ。もしそうだとしたら、それは神のご加護だわ」と言いました。私はもう一度、何かあったらすぐにホスピスに電話することを強調すると、アリスさんは「もちろんよ」と言い、「もしかしたら、あなたに会うのもこれが最後かもしれないのね。酷いことを言うようだけど、彼のためにはそうあってほしいわ」と言いました。私は、「そうですね。アリスさんがリーアムさんのためにされたことは、誰にでもできることじゃありません。本当に素晴らしいです。心から尊敬します。リーアムさんもそう思っていらっしゃると思います。リーアムさんは運がいいです」と言うと、アリスさんは泣き笑いの顔で、「ありがとう、ありがとう」と言って、両腕を広げました。私たちはお互いに優しくハグをすると、「それじゃ、いつか、また」と言って別れました。そして、月曜日の朝、私はその深夜にリーアムさんが息を引き取ったことを知りました。土曜日の夜に呼吸が早くなり、アリスさんから電話を受けて、日曜日にナースが訪問した時は、すでに昏睡状態でした。そして、そのまま目覚めることなく、リーアムさんは願いを叶えたのです。私は、リーアムさんが最後に言った「Good bye」を、耳の奥でもう一度聞いた気がしました。そして、心に浮かんだのは、リーアムさんの眼光炯々とした鋭い目ではなく、最後に見た、穏やかで澄み切った、優しい眼差しでした。
 私は時間を見計らい、アリスさんに電話をしました。すぐに電話に出たアリスさんは、私が名乗る前に「ああ、Nobuko。彼が逝ってしまったことは知ってるわよね」と言い、私がお悔やみを言うと、「どうもありがとう。彼はね、最後まで本当に素晴らしい人だったわ。一番の贈り物はね、あのまま出血しないで、眠ったまま旅立ったことよ。それがね、私は何よりも怖かったの。呼吸も、来てくれたナースに言われたとおりにモルヒネをあげたら、すっかり楽になってね。ああNobuko、本当に、パーフェクトだったわ」と言いました。私は「アリスさんも、リーアムさんも、素晴らしかったです。お二人にお会いできて、本当に光栄でした」と言うと、アリスさんは「ホスピスのおかげだわ。どの方もみんな素晴らしかったけど、私は朝、あなたの電話があると、それだけでもう救われた気がしたわ。ドアの向こうにあなたの姿が見えると、それだけで気持ちが楽になったの。そして、どうかパットに会うことがあったら、ぜひ私から大きなハグをあげてちょうだい。彼女が来ると、いつもこの家はパアっと明るくなったわ」と言いました。私は、「もちろん、伝えます。アリスさん、これからはご自身とご家族、それから学校であなたを待っている子供たちのために、お体を大切にしてくださいね。どうもありがとうございました」と言って、電話を切りました。
 電話を切ってから、私はしばらくリーアムさんとの最後の会話を思い浮かべていました。あの、最後のサヨウナラに、リーアムさんの気持ちがすべて込められていたような気がして仕方なかったのです。もしかしたら、リーアムさんは私にだけではなく、ベビーモニターを通して、リビングルームにいたアリスさんにもお別れを言ったのではないか。口下手な彼は、あの一言にアリスさんへの感謝と、もしかしたらそれ以上の気持ちを込めていたのではないか、と思ったのです。そして、あの時のアリスさんの涙は、それを受け取った証しだったのではないか、と。もちろん、私の勝手な深読みかもしれませんが、どこか孤独の影を持ったリーアムさんにとって、全てを委ね、信頼できる唯一の人がアリスさんであり、そこには彼のあの澄んだ瞳のような、濁りのない愛情があったのではないかと思わずにはいられなかったのです。それがアリスさんの言うように、素晴らしい友情であったとしても、やはり、素敵な愛の物語に出会ったような気がして、私は心の中で「リーアムさん、アリスさんはしっかり受け取ってましたよ」とささやいたのでした。
 
 
[2018/11/30 06:11] | 忘れられない人々 | トラックバック(0) | コメント(0)
最後のサヨウナラ (2)
 リーアムさんは、トラマドールと言うオピオイド系では弱めの鎮痛剤を使っており、それでまずまず痛みはコントロールされていました。念のためにと、パーコセットというオキシコドン(オピオイド系麻薬)とアセトアミノフェン(タイレノール)の合剤も屯用に処方されていましたが、「まだいらない」と言って、使っていませんでした。アリスさんは指導したとおりに毎日ガーゼを変え、においも抑えられ、滑り出しは順調でした。最初は「まだ必要ない、シャワーくらい自分でできる」と渋っていたホームヘルスエイドのサービスも、できる所は自分で、と、できるだけ自立を助ける形で援助するというケアプランでかかわったせいか、思ったよりもスムーズに受け入れていました。特に受け持ちになっていたエイドのパットはいつも明るく元気で、アリスさんは「彼女が家にいるだけで楽しい気分になるわ」と、とても喜んでいました。しかし、リーアムさんは確実に弱っていき、歩行器で歩くのも大変になってきました。転倒の危険が高くなり、私は、“念のため”に車いすとポータブルトイレをオーダーしましたが、リーアムさんはそれをあまり歓迎しませんでした。リーアムさんは「彼女(アリスさん)が心配するのはわかるし、あんたがしなきゃいけない仕事だという事もわかる。でも、俺はまだ自分で出来ることがあるんだ」と言って、横から一生懸命説得しようとするアリスさんを少し恨めしそうに見ました。私は、「そうですね。誰だって、他人に頼りたくないことはありますよね。まして、今まで生活の一部として普通にしてきたことを、誰かの手や道具に助けてもらうなんて、誰だって嫌だと思います」と言うと、リーアムさんはいつもより力のある声で、「そうだ、その通りだ。当然だろう」と言い、それから、「こんなのは俺じゃないんだ」とつぶやきました。家庭的に恵まれず、厳しい少年時代を過ごしたリーアムさんは、一度も結婚せず、子供も持たず、フィラデルフィア郊外の比較的穏やかな地域の警察官として、そこに暮らす人々の安全を守るために働きました。自分の始末は自分でつける、そうやって生きてきたのに、病気になり、治療の甲斐もなく、こうして他人の手に頼らなければトイレにも行けなくなった自分を認めることは、顎の潰瘍よりもずっと強い痛みを彼に与えていました。私はしばしの沈黙の後、こう言いました。「リーアムさん、これらは保険です。エマージェンシーキット(救急箱)です。何かあった時に手元にあれば役に立つ、だから、その時まで納戸に入れておいたっていいんです。そこにあるだけで、アリスさんは安心できます。リーアムさんだって、アリスさんをできるだけ不安にさせたくないんじゃないですか?それだけのことです。しかもこの保険はただですからね。」リーアムさんは、何もかもわかっている、という目で私を見ると、「俺に気を遣うことはないよ」と言って、手を振りました。
 一段一段階段を下るように、私が訪問するたびにリーアムさんは弱っていき、アリスさんの不安はどんどん強くなっていきました。また、痛みもついにトラマドールでは効果がなくなり、パーコセットを使うようになりました。アリスさんは私の指導したことを忠実に実践していましたが、一生懸命になりすぎてリーアムさんがイライラしたり、時にはかんしゃくを起こしたりするようになりました。それまでそんなリーアムさんを見たことのなかったアリスさんは、病気がそうさせているとはわかってはいても、悲しさと腹立たしさと、自責の念にかられ、何とか気を紛らわせるために洗濯をしたり、家中を掃除したりしていました。さらに、夏休みが終わると、職場からはいわゆる介護休暇扱いにしてもらえてはいたものの、学校の子供たちが恋しく、不安とストレスで、リーアムさんとともにアリスさんもどんどん痩せていきました。私はアリスさんに自分の時間が持てるようにと、エイドの訪問回数を増やしたり、ボランティアを入れたらどうかと勧めましたが、アリスさんは「大丈夫、私はできる」と、まるで自分に誓いを立てたように、頑なに拒否していました。私はMSWのリーに、何とかアリスさんをサポートしないとつぶれてしまう危険があることを伝えると、リーはすぐにアリスさんに電話をし、訪問予定を入れました。そんなある朝、いつもよりも固い表情で私を出迎えたアリスさんに、一人の女性が訪ねてきました。私がまだ荷物も降ろさず、ドアも開いたまま、アリスさんから「実は私のとても近しい人が昨日救急に行ったの。それで、たった今検査の結果が出て、幸い思ったほどひどくはなかったって連絡があって...」と話を聞いていると、私の肩越しにその女性を認めたアリスさんが突然「Oh my God! 私の妹だわ!」と言って、両手で口を覆ったのです。私が振り向くと、その女性はアリスさんに駆け寄り、しっかりとハグをしました。それからアリスさんは私に妹さんを紹介すると、ポロポロと涙を流し始めたのです。
 妹さんは隣のニュージャージー州に住んでおり、時間を作ってはアリスさんを訪ね、食べ物を持ってきたり、家事を手伝ったりしていましたが、何よりもアリスさんにとってかけがえのない話し相手でした。絶対に弱音を吐かないアリスさんにとって、妹さんは唯一気を許せる存在だったのです。そんな妹さんが、初対面の挨拶もそこそこに私の目を見つめ、懇願するようにこう言いました。「あの、レスピット(レスパイト)のサービスは使えないの?家族の休息のためのサービスでしょ?私のお姉さんは休息が必要だわ。わかるでしょ?」すると私が口を開く前に、アリスさんが「そんなことできないわよ。彼が怒るわ。きっと行きたがらないわ」と言ったのです。妹さんは「じゃ、ぎりぎりまで本人には言わないでおけば?今はそんなこと言ってる場合じゃないわ。このままじゃ、あなたが参っちゃう。そしたら共倒れじゃない」と言い、私のほうを見ました。私は、渡りに船、とばかりに、アリスさんに言いました。「私も妹さんの意見に賛成です。ここで少しリフレッシュして、よく休んでエネルギーをチャージした方が、アリスさんにとってもリーアムさんにとっても得策だと思います。」それでもアリスさんが「でも彼はこの家にいたいって...」と躊躇していると、妹さんが私に向って「昨日、彼女の旦那さんが入院したの。姉はリーアムのケアに専念するって決めてるけど、やっぱり旦那さんに何かあったら放っておけないし...」と言ったのです。私は一瞬耳を疑い、妹さんに「今、旦那さんっていいました?」と訊き返しました。妹さんが「そうよ、旦那さん」と言い、私は心底驚きながら思わず「アリスさん、結婚してたんですか!?」と声をあげてしまいました。アリスさんにお子さんがいることは知っていましたが、“良い友達”とはいうものの、住み込んで看取りまでのケアをするのですから、まさか今現在結婚されているとは夢にも思っていなかったのです。アリスさんはあまり話したくなさそうに、「そうよ。でも、これはみんな合意の上のことなの。彼(リーアムさん)は本当に良い友達だし、私以外に頼れる人がいないのだもの」と言いました。私はそれ以上は訊かず、「そうですか。でも、やっぱりご主人のことだって心配だし、レスピットのサービスを使うのには絶好のタイミングだと思います。リーアムさんはわかってくれると思います」と言うと、妹さんが「彼に黙っていることはできないのかしら?それで、迎えが来た時に言うっていうのは?」と言い、私は苦笑しながら「いや、さすがにそれはできません。ご本人の承諾なしには無理です。でも、私が説明しますから」と言うと、妹さんは「わかったわ」と言いながらアリスさんに「ね、ね?」と決断を促しました。アリスさんもようやく決心がついたようで、「そうね、彼には申し訳ないけど、今はそれがいいかもしれないわね」と言いました。私はとりあえずホスピス病棟に電話をしてベッドの空きがある事を確認し、これから一人レスピット目的で患者さんを送りたい、と伝えました。幸い部屋は空いており、病棟の主任は「いつでもいいわよ」と言ってくれました。それからアリスさんと一緒にリーアムさんの寝室に行き、こう言いました。「リーアムさん、あなたがここにいたいのはアリスさんも私もよくわかっています。ただ、リーアムさんもお気づきだと思いますが、アリスさんにはちょっと休憩が必要になってます。前に説明したように、私たちのホスピスにはホスピス病棟があって、メディケアは最長五泊のレスピットケアをカバーします。病棟にはプロのホスピスのスタッフと医師がいて、素晴らしいケアをしてくれますし、病棟と言っても病院とは全く違い、静かでまるでちょっとしたホテルみたいですよ。お互いにちょっとバケーションを取るつもりで、行きませんか?五泊六日、少しリラックスして家に戻ってきたら、お互いにリフレッシュしてうまくいくと思います。」すると、私をじっと見て話を聞いていたリーアムさんは、拍子抜けするほどあっさりと、「いいよ」と言ったのです。私の後ろにいたアリスさんは、「私も毎日行くから。決して見捨てるわけじゃないのよ。その方がお互いにいいと思うのよ」と言い、リーアムさんは、気にするな、とでも言うように「OK,OK」と言って手を振りました。 
 それから、病棟に電話をしてベッドを確保し、MSWのリーに電話をして搬送のための救急車の手配をしてもらい、オフィスの上司とメディカルディレクターのカールに報告しました。リーはピックアップの時間がわかったらアリスさんと病棟に連絡してくれることになり、私はアリスさんに必要な持ち物を説明しました。アリスさんはそうと決まるといつものようにてきぱきと動き出し、妹さんは私の手を取って「ありがとう、本当にありがとう」と言いました。私は妹さんに、「実は、私もどうやってアリスさんを説得しようかと考えていたところだったので、本当に良かったです。私が勧めただけじゃきっと決心されなかったと思います。リーアムさんは怒ってないと思いますよ」と言うと、妹さんも「そうね、私もそう思うわ。これで少し安心だわ」と言いました。私はもう一度リーアムさんの寝室に戻ると、「それじゃリーアムさん、すべて手はずは整ってますから、ミニバケーションを楽しんでくださいね。火曜日はミーティングがあるので私もオフィスに行きますから、その時病棟に寄りますね」と言いました。リーアムさんは表情を変えず、「そうか。ありがとう」と言いました。それから、アリスさんはいつものように私を外まで見送りながら、「どうもありがとう。私も毎日様子を見に行くわ。そんなに遠くないもの」と言いました。私は、「そうですね。でも、せっかくですからゆっくり休んで、ちゃんと食べて、エネルギーをチャージしてくださいね。妹さんとご飯でも食べに行って楽しんでください」と言うと、アリスさんはうん、うん、と頷いて、「そうするわ。心配しないで」と言いました。最後のサヨウナラ(3)に続く。
[2018/11/12 05:24] | 忘れられない人々 | トラックバック(0) | コメント(0)
| ホーム | 次のページ>>
プロフィール

Author:ラプレツィオーサ伸子
アメリカ東海岸で在宅ホスピスナースをしています。アメリカ人の夫、子供3人、犬一匹と日々奮闘中。

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

フリーエリア

フリーエリア

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR