ホスピスナースは今日も行く
アメリカ在住日本人ナースが、ホスピスで出会った普通の人々の素敵な人生をおすそわけします。
タフガイの苦悩 (4)
 弟さんとビールを飲むという楽しみを取り戻したビルさんは、週に一度のデートをますます心待ちにするようになりました。それでも、次第に長い距離を歩くのが困難になっていき、4階のアパートメントから一階のメインエントランスはもとより、ダイニングルームへ行くのも大変になっていきました。私は、車椅子を使って、ポータブルの酸素ボンベを持っていく事を勧めましたが、ビルさんは、奥さんに車椅子を押させるのは大変だからと言って、なかなか踏み切れませんでした。奥さんは「私は全然大丈夫よ。みんなやってる事じゃない」と言いましたが、奥さんも私も、彼の本当の理由、つまり、酸素カニュラを着け、車椅子を押してもらっている“病人”或いは“老人”のような姿を他人に見せたくないのだ、と言う事を知っていました。ビルさんの気持ちを尊重し、それ以上は言えない奥さんに代わって、私はこう言いました。「とりあえず車椅子に酸素ボンベを乗せて、それを押しながら奥さんと一緒に歩いてみたらどうですか?で、途中で疲れたら座って、あとは押してもらえばいいんじゃないですか?ここの建物は車椅子を押しやすいように作られていますから、奥さんでも問題ないと思いますよ。酸素はどうしても必要な時だけ使えばいいんだし。一度そうしてみたら、意外に思ったほど悪くないって思うかもしれないですよ。誰だって年は取るし、病気にもなります。言ってみれば、その為に皆さんここに住まわれているんじゃないですか。もちろん、みんな年は取りたくないし、持っていたものを失っていくのは辛いし、認めたくないですよね。それでずっと家にこもっているのと、それでも使える手段を使って会いたい人達に会うのと、それはビルさん次第なんです。」ビルさんは、私を見てから奥さんの方を向いて、「彼女はいつも鋭い事をはっきりと訊くね」と言い、もう一度私のほうを見ると、ちょっと寂しそうに「君の言うとおりだよ。ただ、自分がこんな風になるなんて思ってもみなかったけどね」と言いました。
 ミルリノンの点滴を続けながらホスピスケアを受け始めて、2期目(91日から180日)も後半に入り、ビルさんは酸素をつけている時間の方が多くなり、モルヒネも就寝前には必ず、日中も二日に一度は息切れの為に使うようになりました。それでも毎朝必ず服に着替えて身なりを整えていましたが、リビングルームのリクライナーに座ってテレビを見ながら居眠りをすることが多くなっていきました。食欲が減ってきて、ビールも飲まなくなりました。胸痛を感じる回数が増え、その為にモルヒネを使うことも増えていきました。一時はコントロールできていた不眠も再燃し、夜中にベッドからリクライナーへ、リクライナーから椅子へ、またベッドへ、と移動しながらぶつぎれの睡眠しかとれず、全身の倦怠感は強くなる一方でした。私は夜中の転倒を避ける為、電動ベッドを試してみないか、と提案しました。「電動ベッドならリクライニングのポジションにできるので、呼吸がしやすいはずです。そしたら、もっと快適に眠れるかもしれないし、夜中に歩き回って転倒する危険もないですし」と言うと、奥さんはすぐに賛成しましたが、ビルさんは「でも、そのベッドはどこに置くんだい?そんな場所があるのか?酸素の機械はどこに置く?」などと質問してきました。私達は、いくつかのオプションを検討し、その結果、リビングルームのリクライナーをどかして、そこに電動ベッドを置くのが一番良いだろうということになりました。ビルさんはあまり乗り気ではありませんでしたが、現実的にそれが安全で、奥さんの負担も減らす方法である事を理解していました。そして何より、自分の身体が思い通りにならない事、日々弱ってきている事を実感していたのだと思います。ビルさんはすでに、自分がいなくなった後の為に様々な手続きを済ませ、必要な書類などを奥さんの為にまとめていました。あとは、以前から楽しみにしていた弟さんの結婚10周年パーティーが迫ってきており、できればそれに出席したいけれど、その日の調子次第では無理かもしれないと覚悟はしていました。結局、ベッドに関しては、リクライナーをどかすのにメンテナンスの人を頼まなくてはならないので、その日を調整したら私に伝えてくれることになりました。
 そして二日後に訪問した時、リクライナーは既にどかしてあり、ソファーに座ったビルさんは開口一番「で、ベッドはいつくるんだい?」と言ったのです。私がちょっと面喰いながらも、「今日なんてどうでしょうかね?」と言うと、ビルさんは「善は急げだ」と言って奥さんを見ました。奥さんは「あなたが良ければ、いつでも」と言ってから、「でも、そんなにすぐ来るものなの?」と言いました。私は、「じゃ、今オーダーして訊いてみますね」と言い、すぐに契約している医療機器の会社に電話しました。そして、電話を切ってから、「今日の午後来ます。ドライバーさんから後で電話があるはずですから」と言うと、二人とも目を丸くして、「一体どんなマジックなんだ!?」とびっくりしていました。「フフフ、人望ですかね(嘘)」と言うと、奥さんは本気で感心し、ビルさんはそんな奥さんを見て「まあ、そういう事にしておこう」と言って笑いました。
 ベッドが来てからも、ビルさんは必ず着替えをし、食事もキッチンのテーブルでとっていました。リビングルームに置いたベッドからキッチンまでの3mを歩くだけで息切れし、酸素はほぼ24時間つけているようになっていました。モルヒネも頻回に使うようになり、胸痛も二日に一度は起こるようになっていきました。それらがどういう意味なのか、ビルさんに訊かれると、私は、彼の心臓がミルリノンに叩かれ、ヘロヘロになりながらも最後の力を振り絞っていることを説明しました。するとビルさんは、「まるで鉄の鎧を着けて濁流を泳いだように疲れていて、本当に気分のいい日などないのだ」と言ったのです。「そういえば、弟さんの結婚10周年記念パーティーはいつでしたっけ?」と訊くと、「それが明後日の日曜なんだけど、昨日フランキーから電話があって、どうも体調が悪いらしいんだよ。たぶん24時間で治る胃腸のウイルス感染みたいだから、まあ日曜は大丈夫だろう。僕は無理だけどね」と、あっさり言い、それから、「ミルリノンをやめたら、何時間くらいで死ぬんだっけ?」と訊いてきました。私は、何度も言った台詞を繰り返しました。「人それぞれですが、殆どの方は三日以内に亡くなることが多いです。」「どんなふうに?」「大抵、皆さんベッドから起きられなくなり、眠り続けるようにして亡くなります。呼吸が苦しそうな時は液体モルヒネを使います。」「ホスピス病棟に行く必要はあるのかい?」「それは患者さんとご家族の希望です。そのままお家で看取られる方もいるし、ミルリノンを中止した時点でホスピス病棟に来られる方もいます。」「僕はどうだろう?」「それはビルさんと奥さんのご希望次第です。どちらにしても、ビルさんが苦しくないようにしますし、奥さんがここでお世話しきれないと思ったら、救急車で病棟に搬送できます。ここからなら5分も掛からないし、奥さんがご希望ならビルさんのお部屋に泊まれます。ご心配は要りません。」私がそう言うと、ビルさんは少し間を置いてから、こう言いました。「ありがとう、よくわかったよ。僕はね、言葉では言い表せないほど、疲れているんだ。苦しいとか、辛いとかではなくて、とにかく酷い気分なんだ。これはね、生きているとは言えないし、こんな時間は僕には意味がないんだよ。僕の心臓は休みたがっている。もう、充分だってさ。」私は、「よくわかりました。これはビルさんの人生で、ビルさんの命です。いつミルリノンをやめるかは、ビルさんが決めて下さい。それ以外のことは、私達がちゃんとしますので、安心してください」と言うと、ビルさんは、「そうだな。まかせるよ」と言い、それから奥さんに向かってこう言いました。「決めたよ。ミルリノンは終わりだ。あとは、なるようになるさ。」
 奥さんはいつも通り落ち着いて、一呼吸おいてから、「そう。あなたがそう決めたなら、そうして下さい。いつかはそう言う日が来るんですものね」と言いました。ビルさんは、頷いて、それから私を見て言いました。「それじゃ、決行日はいつにするかな?」私は、「今日は金曜日ですので、週末に掛かるのはお勧めしません。それに、日曜日はフランキーさんのパーティーですし。週が明けてからはどうですか?」と言い、それから、「誰かお会いしたい人や、話しておきたい人はいませんか?」と訊きました。ビルさんはちょっと考えて、「そうだな、しいて言えば、フランキーだな」と言ってから、奥さんに「フランキーに電話するよ」と言いました。そしてビルさんが電話をしようとしたその時、まるで待っていたかのように電話がなったのです。ビルさんは着信ナンバーディスプレイを使っており、それがテレビの画面の下にも表示されるようになっていました。そして、その時スクリーンに書き出されたナンバーは、まさにフランキーさんのものだったのです。ビルさんは電話を取ると、「なんだい、超能力か?」と言って笑いました。事情がわからないフランキーさんは戸惑っているようでしたが、「今ちょうど電話しようとしてたんだよ」と言うビルさんに、「そうか、偶然だね」と言ってから、日曜日の事について話し始めました。フランキーさんはまず自分の体調がひどい事になっていると嘆いてから、多分日曜までには回復するだろう、と話し、ビルさんに調子はどうか訊きました。(会話はスピーカーフォンになっており、奥さんと私にも聞こえていました。)ビルさんは、いつもと変わらぬ調子で、言いました。「僕は行けないよ。体調は酷いもんだ。今、ホスピスのナースと話したんだけど、ミルリノンを止める事にしたよ。これ以上続けても、何も良くはならないし、もう充分なんだ。」しばらく沈黙があり、それからフランキーさんが言葉を搾り出すように「・・・そうか。そうするのか。寂しくなるな(I will miss you)。」と言いました。ビルさんは、「I will miss you, too」と言い、奥さんに向かって、「フランキーが僕の事をmissするってさ」と言いました。奥さんは黙って頷き、それから「私もですよ」と静かに言いました。タフガイの苦悩(5)に続く。
 

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[2017/09/30 12:02] | 忘れられない人々 | トラックバック(0) | コメント(0)
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Author:ラプレツィオーサ伸子
アメリカ東海岸で在宅ホスピスナースをしています。アメリカ人の夫、子供3人、犬一匹と日々奮闘中。

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