ホスピスナースは今日も行く
アメリカ在住日本人ナースが、ホスピスで出会った普通の人々の素敵な人生をおすそわけします。
タフガイの苦悩 (5)
 月曜日、私は、今日がその日になるのかどうか、もしかしたらビルさんの気が変わっているかもしれない、と、心のどこかで思いながら、すでに顔パスとなっているコミュニティーのセキュリティーガードに手を振って、ゲートを抜けていきました。エントランスのカウンターで訪問者記録に名前を書き、長い廊下を渡り、エレベーターで4階まで行き、緊張しながらいつものようにビルさんのアパートメントのドアベルを鳴らすと、中から奥さんの「どうぞ」と言う声が聞こえました。中に入るといつも通りのニコニコした奥さんと、きちんと着替えをしたビルさんが待っていました。そして、しばらくフランキーさんのパーティーの話などをした後、ビルさんがごく自然に「それじゃ、そろそろコイツを止めようか」と言ったのです。私は内心“ほんとに?本当にいいの?”と焦りながらも平静を装い、自分自身に言い聞かせるように、「そうですか。それじゃ、そうしましょう」と言ってから奥さんを見ました。奥さんは口を一文字に結んだまま私を見ると、そっと頷きました。私はミルリノンのポンプを止め、電源を切りました。そして、チューブをはずすとPICCラインをフラッシュしました。「このラインは抜かないのかい?」と訊くビルさんに、「ラインは念のために入れておきます。万が一の時にラインがあると助かりますから」と言うと、ビルさんは笑って、「万が一って、なんだい?あとはもう死ぬだけなんだよ」と言いました。私が「たとえば、呼吸が苦しくなった時、液体の経口薬で思うような効果が見られなかった場合、ラインがあればそこから薬を入れられますから」と説明すると、「ああ、なるほどね」と言ってから、「そうなったらホスピス病棟に行った方がいいな」と言いました。私は、「分かりました。そうするようにチームに伝えます」と言ってから、メディカルディレクターのカールに電話しました。そして、ビルさんのミルリノンを止めた事を伝え、これから起こりうる症状緩和のための薬の口頭指示を受けました。そして、場合によってはホスピス病棟を利用したい事も伝えると、カールは「いつでも歓迎するよ。何かあったらすぐに連絡して」と言ってくれました。それから新たな薬の指示を紙に書き、奥さんに分かりやすいようアルゴリズム形式で説明しました。それから、「とにかくいつでもいいから、分からない事や困った事があったらホスピスに電話してくださいね」と念を押しました。奥さんは緊張しながらも「分かったわ。それなら私にもできるから」と言って少しだけ微笑みました。私はビルさんにこれらの事を説明すると、彼は奥さんに向かって「大丈夫か?彼女の言ったこと、わかったか?」と訊きました。奥さんは「心配しなくても大丈夫ですよ。私だってこれくらいできますよ。それにわからなかったらホスピスに電話すればいいんですから」と、いつになく力を込めて言いました。ビルさんは頷くと、今度は私に向かってこう言いました。「で、これからどうなるんだい?今のところ、何にも変化は感じないけどね。」
 私は、ビルさんと奥さんに、これから起こりうること、つまり、全身の倦怠感と息切れが強くなり、ベッドから起き上がれなくなり、昏睡状態に近くなって、食べたり飲んだりすることもなくなり、排泄のコントロールも出来なくなる、と言った事を説明しました。また、息切れや不安、不穏は薬で充分コントロールできる事を強調してから、奥さんには、使い捨てのリネンや紙オムツの使い方を説明し、エイドの訪問回数も毎日に増やしました。奥さんが「それはありがたいわ」と言うと、ビルさんがこう言いました。「それで、僕が死んだあとはどうなるんだい?」私は、「その時はホスピスに電話して下さい。ホスピスのナースが来て確認し、ドクターに連絡します。ナースが死亡診断書の確認欄に時間を書いてからサインし、それから葬儀社に電話します。ビルさんの場合は火葬ソサエティーに電話します。そして、ソサエティーの人がビルさんを引き取りに来て、診断書を受け持ちのドクターのところにもっていきます。ドクターが診断書を完成させるので、必要な分のコピーはドクターからもらえます。奥さんがするのはホスピスに電話する、それだけです」と説明すると、ビルさんは「よくわかったよ。ありがとう」と言い、奥さんも頷きました。そして、「私は明日また来ます。残念ながら明後日は休みなので別のナースが来ますが、とにかくこれからは毎日ナースが来ますから。それから、何度も言っていますけど、とにかくいつでもホスピスに電話して下さい。ちょっとした質問でも構いません。一人で不安を抱えないで、たった一言の答えで安心できる事もありますから」と言いました。ビルさんと奥さんは頷いて、「そうするよ。どうもありがとう」と言いました。私は、「それじゃ、また明日」と言うと、ビルさんは「それはどうかな。そうだといいけどね」と言い、片手をあげました。奥さんはいつものように私のためにドアを開けると、「本当にどうもありがとう。また明日」と言って私を見ました。
 火曜日の朝、夜間の報告にビルさんの名前がないのをチェックしてから、訪問時間の確認の電話をすると、なんとビルさんが電話に出たのです。一瞬間をおいてしまった私にビルさんは、「ハハハ、驚いたかい?幽霊じゃないよ。で、今日は何時に来るんだい?」と言いました。私はドキドキしながら、昼頃に行く、と言い、ビルさんは「待ってるよ」と言いました。そして、予定通り昼頃訪問すると、奥さんの息子さんが訪ねてきており、ビルさんは息子さんと一緒にダイニングテーブルについて、お昼ご飯を食べていました。小さなボウルに入ったスープを飲み終わったビルさんは、奥さんに「アイスクリームがいいな」と言い、奥さんが差し出したアイスクリームの箱から、アイスクリームディッシャーで3スクープ掬って大きめのボウルに入れました。それから、「君も食べるかい?」と私に向って訊きました。私は、「うーん、魅力的ですが、遠慮しておきます」と言い、奥さんに「座って座って」と勧められるまま、向かい合ったビルさんと息子さんの横に座りました。ビルさんはアイスクリームの箱を奥さんに渡しながら、「最近は“アイスクリーム”とは表示しないんだな。見てみろよ、“フローズンデザート”だとさ」と言い、それからしばらく息子さんを交えて、最近の食べ物は安心して食べられない、と言う話題で盛り上がりました。ビルさんはいつものように穏やかながらも時々毒舌をふるい、奥さんも息子さんも、笑ったり頷いたりしながら、何の変哲もない、普通の一日のお昼ご飯のひとときを楽しんでいました。そして、それが私がビルさんと過ごした、最後の時間となったのでした。
 水曜日、その日は休みでしたが、私は用事があり、一日外に出ていました。帰宅してから気になってボイスメールをチェックすると、ビルさんがホスピス病棟に移ったという報告が入っていました。私は驚くと同時に、ちょっと残念のような、でも安心したような、なんとも複雑な気持ちになっていました。すぐにラップトップをつなげて今日訪問したナースの記録を開けると、ビルさんは昏睡状態に近く、奥さんがホスピス病棟の利用を希望した、と書かれていました。私は、どこかで“明日また会えるだろう”と思っていた自分の甘さがおかしく、あれほどビルさんに“現実”を説明していた私自身が、心の片隅で、まるでビルさんが不死身であるかのように錯覚していたのだという事に気づいたのです。そしてその晩、ビルさんは苦しむことなく、眠るように亡くなりました。
 翌日、私はビルさんの奥さんに電話をしました。お悔やみを言うと、奥さんは穏やかな声で「あの日、あなたが最後に来た日ね、あの日はとっても調子が良くて、彼も気分がよかったの。でも、夕方からは疲れたらしく、ベッドに横になってね、そのままうつらうつらしてね、水曜日はもう起きなかった。ナースが来てくれた時も起きなくて、私も不安になってね、病棟に行きたいって言ったのよ。そしたらすぐに手配してくれて、何もかもスムーズで、病棟のスタッフもみんなとても親切だったわ。それからあっという間だったわ。あんなにあっけないものだなんて、想像もしていなかったけど、彼にはよかったんだと思うわ。もう覚悟はできていたし、全く苦しまなかったから。あなたには、本当に感謝してるの。彼は簡単な患者じゃなかったと思うけど、あなたはいつも彼を尊重してくれて、どんな質問にも答えてくれた。彼もあなたを信頼してたわ。あなたのいう事ならちゃんときいてたもの。本当にありがとう」と言いました。私は、「こちらこそ、ありがとうございました。ビルさんを訪問するのはチャレンジではありましたが、とても楽しかったです。ビルさんにはいろんなことを教えてもらいました。でも、何よりも、奥さんが支えていらしたから、ビルさんはあそこまで頑張れたのだと思います」と言うと、奥さんは電話の向こうでふふふ、と笑い、「彼はね、私はなんにもできないって思ってたのよ。でもね、最後に言ってくれたの。“君のおかげで楽しかった。ありがとう”って」と言ってから、声をつまらせました。私は鼻の奥がツンとするのをこらえてから、「そうですか。なんか、ビルさんらしいですね」と言い、二人で少しだけ笑ってからお別れを言い合い、電話を切りました。
 電話を切ってから、亡くなる前日に、ボウルいっぱいのアイスクリームを食べながら笑っていたビルさんと奥さんを思い出し、結局一番覚悟が出来ていなかったのは私だったのだな、と実感しました。ビルさんと一緒に走ってきたつもりだったのが、気付かぬうちにビルさんは最後のコーナーを曲がり、ラストスパートをかけていたのでした。そして、本当の意味で伴走していたのは奥さんであり、私は言ってみれば、ああだこうだと言いながら、結局は選手を見守る事しかできない、コーチのようなものだったのかもしれないと思ったのです。余命数日と言う宣告を受けてから、半年近くも自分自身と格闘し続けたタフガイは、最期は軽々とした足取りで、ゴールを駆け抜けて行ったのでした。
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[2017/10/05 16:53] | 忘れられない人々 | トラックバック(0) | コメント(0)
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Author:ラプレツィオーサ伸子
アメリカ東海岸で在宅ホスピスナースをしています。アメリカ人の夫、子供3人、犬一匹と日々奮闘中。

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